∥全身の出物が発する健康情報(1)∥
∥汗をチェックする∥
●人間の出す汗は二種類に分けられる
私たち人間の肉体全体からの出物によって知る健康情報や、関連した健康法を述べていきたい。全身からの出物というと、まず汗が思い浮かぶところ。
私たち人間は主として、食物と飲み水によって水分を補給しており、出てゆくほうの大部分は尿として出ると考えがちであろう。本当のところ、かなりの量の水分が息とともに、また皮膚などの表面から、気がつかないうちに蒸発して失われているのである。皮膚からの水分蒸発で誰もが気づくのは、暑い季節や運動した時に分泌される汗だ。
一般的にいって、人間が汗を出すこと、発汗には、二つの大きな役目がある。一つは水分を出し、これが体表面で蒸発する時に体から奪う気化熱を利用して、体温を下げる自然作用である。
実は、人間の体温は、非常に狭い範囲の変化しかしない。健康な時の体温が摂氏三十六・五度とすると、絶対温度では三百九・五度に当たり、これが一日にプラスマイナス〇・五度の変動をするだけだ。体温のサーモスタットは、非常に厳密にできているといってもよいだろう。
つまり、体温がこの設定温度より少し上がると、汗腺から汗を出したり、全身の皮膚の血管が拡張して赤い顔になったりするし、設定温度より下がると震えによって熱を産生したり、毛が立つことで熱の放散を防ぐようになっている。
もう一つの発汗の役目は、人間の体臭を形成するいろいろな要素の主なものとして、性的意義を持つことだろう。
汗を出す汗腺には二つの種類があり、一つをエクリン腺といい、もう一つをアポクリン腺という。エクリン腺は体の表面の全体をおおっており、人間では二百万~四百万個くらいあるが、このうち本当に汗を出すのを能動汗腺といい、百五十万個くらい。
一方、アポクリン腺というのは、毛と関係ある腺といわれるもので、毛の付け根の部分から出ている。この腺は、人間の場合には体温と関係なく働き、腋(わき)の下、乳首の周り、外陰部、肛門の周囲などに分布している。
汗をかくのは人間だけではないことは、競走馬がレース終了後に、首のあたりにどっと汗をかいていることでもわかる。しかし、それも高等な哺乳(ほにゅう)動物のみで、犬や猫はほとんど汗をかかない。犬などは浅速(せんそく)呼吸といって、暑い時には口を開け、舌を出して、舌の表面からの水分の蒸発によって体温を下げている。「いかにも暑くて、苦しい」といった感じで人間は受け止めてしまうが、犬自身は特に苦しいわけではない。
動物の汗腺としては、体表面にはアポクリン腺しかなく、馬の汗もアポクリン腺から出ている。猫なども含めた高等な哺乳動物では、エクリン腺は足の裏にのみある。猫に汗をかかない薬を与えると、木に登ることができない。動物の手のひらや足の裏の汗腺は、体温を下げることとは関係なく、物を握ったり、木に登ったりする時すべらないようにするためにあるのだ。ゴリラやヒヒなどは、体の表面にアポクリン腺とエクリン腺が混在している。
では、人間の場合、アポクリン腺は何をしているのだろう。人間のアポクリン腺は、思春期にならないと分泌を始めない。このうち特に重要なのは、脇の下にある腺。これは油状の汗を出すが、その中にはアンドロステロンという男性ホルモンの一種が含まれている。女性の場合には、ほとんどアンドロステロンを含まないが、男性では十八歳から四十五歳くらいまでの間は、かなり大量のアンドロステロンを含んでいるのである。
アンドロステロンは尿にも含まれる。動物の場合、これは性ホルモンの役割を果たしているが、人間の場合も体臭として性的意義を持つということである。
確かに、人間のアポクリン腺の役割は動物ほどはっきりしていないにしろ、体臭が私たちの人間関係、社会生活に大きな役割を担っていることは間違いのないところである。
また、においが性の刺激に関係することも事実ではないかと思われる。その証拠に、世界中の有名な香水の最も重要な原料は、動物の尿や便、肉の持つ性的なにおいの成分なのである。
●発汗は老廃物の排泄機能も持つ
再び、人間の体温を調節するための汗の話に移る。汗が蒸発する時に体から奪う気化熱によって、体重七十キロの人が百CCの汗を出すと、体温は摂氏一度下がる計算になる。
そうすると、単純にいえば、外気温が四十度のところにいる同体重の人が、体温を三十七度にまで下げるには、三百CCの水を汗で失うことが必要になる。
このような発汗による体温調節は体表面のエクリン腺が行うが、手足の裏からの発汗は外界の温度と関係ない。例えば、三十五度の部屋に入っていると、自然に胸部や額に汗が出てくるが、手のひらには全く汗が出ない。一方、適度な室温で暗算をさせると、数分で手のひらから汗が出るが、額からは汗が出ない。
このように皮膚を熱すると起こる発汗は温熱性発汗、精神的努力によって起こる発汗は精神性発汗といわれている。文字通り手に汗を握る精神性発汗を利用しているものに、うそ発見器がある。
以上に説明したように、人間の汗腺はその種類によっても、存在する場所によっても、役目が異なるのである。
さて、汗腺は血液の成分をろ過、浄化しているのであるが、ふだんは血漿(けっしょう)成分のうち必要なものはもう一度吸収して、汗の中に出さないようにしている。
しかし、汗が多く出るようになると、食塩の再吸収が追いつかなくなるので、それが漏れ出してくる。血漿中の塩分は〇・九パーセントくらいであるのに対して、汗では〇・六五~一パーセントくらいになる。
こうなると当然、発汗は食塩の喪失をともなうことになる。発汗の結果、食塩を大量に失うことは人体にとって好ましくないから、喪失を補う必要が生じる。
それはともかく、冷や汗は別として、汗をかくのはよいことである。余分な水分や老廃物を体外に排出させることで、腎臓は活性化し、疲労は回復、少しの風邪なら飛んでいく。
この際、発汗の第三の大きな役目を見直してもらいたいものである。
近頃の人間は、汗をかかなくなった。しばらく前の子供は背中や首筋に、たくさんのアセモを出していたものなのに、最近の子供はそうでもないらしい。エアコンや扇風機など冷房設備の普及によるものだろう。
なるほどクーラーは快適で、真夏の候でも暑さ知らずで過ごす人もあることだろうが、それによる弊害のあることも知りたい。人間、尿が出なければ大騒ぎする。汗をかかないことも、人間の生理にとっては一大事である。
夏の季節に、体を適当な暑さで鍛えるということは、人間生理にとって大切なことなのである。特にカドミウム、PCB、水銀、農薬、添加物などによる食品汚染が問題とされている昨今、これらの有害物質を全く取り入れないということは不可能に近いことである。そこで、摂取した有害物質を排除する方法を研究する必要がある。
幸いなことに、人間は自動的に有害物質を体外に排泄する機能を完備している。それが汗腺である。自然の中を歩いて汗を出すことである。働いて汗を出すことである。真夏に自然に汗を出すことである。
この汗が、有害物質を道連れにしてくれるのである。何とあする一方となる。
最近、アトピー性皮膚炎を始め、昔はなかったような得体の知れない病気が続発していることが、このような文化の発達と無関係でないとしたら、文化とは人間にとって何なのか、という疑問を投げかけたくもなるのである。
●積極的な歩きで汗をかいて体力回復
有害物質を排泄してくれる汗の効用を活用した健康法の一つとして、朝などに、歩くことをお勧めしたい。
最近、アトピー性皮膚炎を始め、昔はなかったような得体の知れない病気が続発していることが、このような文化の発達と無関係でないとしたら、文化とは人間にとって何なのか、という疑問を投げかけたくもなるのである。
歩くといっても、最近の人たちは何しろ運動不足だから、大きく手を振って汗をかくくらいに、せっせと歩かなければ駄目なものである。 人間の体というものは、使わなければそれだけ衰えていく。あまり大切にしすぎても、かえって体のためにならない。
いろいろな機関の最近の医学的研究によると、一般社会人が健康状態を維持するには、一日に三十分以上歩く必要があるという。一日の歩数の多い人ほど、心電図異常の発現が少ないとか、動脈硬化を助長する高脂血状態が改善されるという発表も見られる。
加えて、体を支える足を使って歩くのは、脳の働きも活性化する。歩くことによって、血液の循環はよくなり、血圧も調節され、その上、脳の働きもよくなるのである。
手の運動をつかさどる脳の分野があるように、足の運動をつかさどる働きも、位置と占める割合こそ違うが大脳にはある。この大脳にある足の運動を担当する領域と互いに連動し合って、歩くのに使われる筋肉は、特に歩行筋と呼ばれており、お尻の筋肉である大臀(だいでん)筋、大腿四頭(だいたいしとう)筋、下腿(かたい)の腓腹(ひふく)筋やヒラメ筋などである。
これらの歩行筋だけで全身の筋肉の半分以上を占めているのだから、気づいていないかもしれないが、歩くという単純な運動を続けるだけで、大脳ばかりか、体の多くの筋肉を鍛えることができるのである。
同時に、腹筋と背筋を強くするのに、歩くことは効果的だ。また、歩くことの刺激によって、人体の横隔膜の下にある肝臓、胃、腸、脾(ひ)臓、膵臓、膀胱、それに女性ならば子宮などの臓器において、停滞している機能が適度にほどけて、働きが活発になる。
すると、横隔膜の上位にある心臓も肺も、機能的に血液の循環をよくし、血液への酸素の供給が盛んになるため、当然、意識はすっきり、気分はさわやかになってくるのである。血液の流れが速くなるので、管にたまった汚れを掃除する。血管が膨張して、若返る。しかも、刺激が強すぎることもない。
歩くことは、基本的に無害なトレーニングであり、運動なのである。この点、運動生理学者も、トレーニングによって体を鍛えられるだけでなく、精神的なストレスも軽減できると保証している。
さらに、歩くことによって下半身の筋肉の運動がなされて、腸の蠕動運動も順調になる。便秘というものは、腸の蠕動運動が鈍るために起きる現象である。
やはり、私たちの体は頭と同様、上手に使うことが、その健康維持に大切なのである。頭でも足でも使わないと、だんだん委縮する。機械化、自動化、省力化が進むにつれて、人間の体力は当然落ちていく。下半身に力のない人は、概して感情や圧力を起こしやすく、ヒステリー的である。
なるべく下半身を鍛えるためにも、二本足で歩いて汗をかくという人間の自然な、根源的な行為を大切に心掛けたいものである。毎日の通勤、通学の際、一駅前で下車して歩く、買い物の時いつもより遠くの店へゆくなど、意識的に工夫をしたり、特別な運動プログラムを組むなどして、あなたも一日三十分以上、ないし一日一万歩を目指して努力してはいかがだろうか。
人間が歩くことは、決して高度な技術や装備が必要なわけではない。難しさがあるとすれば、実行するやる気一つ、意志一つである。
∥全身の出物が発する健康情報(2)∥
∥皮膚の垢をチェックする(1)∥
●皮膚の垢は角質化した細胞のカス
汗とともに、人間の全身の皮膚から出るものに、垢という出物がある。皮膚から垢が出る仕組みから説明していこう。
まず、人間の体の表面をおおう厚さ約二ミリの皮膚は、表皮と真皮の二つの層に分かれている。二層中の内層の真皮は、弾性繊維に富む結合組織からなる。表皮のほうは、外層にある厚さ〇・二ミリくらいの薄い膜で、この表皮はさらに四つの層に分けられる。
その一番底、基底層では、新しい細胞が絶えず作られている。この細胞は次々と上の層に向かって押し出される。その過程で、細胞は次第に角質化しながら圧縮され、平たくなっていく。そして、完全に角質化するとともに、細胞核を失って死ぬ。表面の角質層は、角質化した細胞が約十四層積み重なってできたもので、厚さ〇・〇二ミリくらいだ。
この角質層の最も大きな役割は、体内の水分の蒸発を防ぎ、その量を一定に保つということ。体内の組織には、七十パーセントの水分が含まれているのに対し、角質層には二十パーセントしか含まれていない。乾いた皮膚の表面を持つことで、水分の蒸散や浸入に対する防御としているのである。
一方、表皮の基底細胞は、休みなく細胞を分裂させて、新しく角質化した細胞をどんどん送り込む。下から押されて、古い角質は体表に近い部分からどんどんはがれていく。
最も古い角質のカスが、体の皮膚の垢というわけなのである。この人間の皮膚というものは、呼吸運動を行って体温も調節している。
だから、人間は脳で温度を感ずるだけではなく、体の表面にも温度を感ずるところがあるのだ。暖かさを感ずる点を温点、冷たさを感ずる点を冷点といい、それぞれの点に温度を感ずる細胞があるのである。
この温点の細胞たる温細胞は、摂氏四十度くらいの温度で最もよく興奮して、暑さを脳に伝達する。これより低い温度では反応が弱くなり、二十五度くらいでは全く反応しなくなる。反対に、温度をもっと上げてゆくと、今度は細胞が傷害されてしまい、この反応が現れない。
これに対し、冷点の細胞たる冷細胞のほうは、二十度くらいで一番興奮するが、これ以上温度を高くすると興奮が弱くなり、三十五度くらいでは全く反応しなくなる。ところが、四十五度以上になると冷細胞が突然興奮する。つまり、私たちは熱いものに触れると一瞬、熱いのか冷たいのかわからないということがよくあるが、これは冷細胞も興奮するからである。
こうしたシステムによる体温調節ばかりではなく、皮膚は水分を始めとして熱、ごみ、病原菌、乾燥、紫外線など有害なものを遮断する最前線の防衛網でもあるし、さらに大気中から酸素や窒素も吸収している。
皮膚から大自然の「気」を吸収したりして、栄養を蓄えることもできる。栄養というよりも、空気の中にあるものを蓄えておくことはできるわけである。
こうして、人間は細胞組織の中に蓄えをしておけば、食べる物が少なくても結構丈夫に、元気よく生きることができる。
食べ物のみが栄養、あるいはエネルギーの元ではない。この大自然の中から、空気の中から、細胞が吸収するような力を作ればいいのである。
●皮膚感覚が有するさまざまな能力
細胞が吸収して皮膚から発散する「気」は、体温の調整をするとともに、感覚の元になる。心以上のもの、意識以上の感覚がこれである。肉体の内部だけが働きをなしているのではなく、皮膚は皮膚なりに、直接、感覚を感ずる資格を与えられている。
皮膚の感覚は、どういうことにいい影響をおよぼすかというと、まず、血液の循環が挙げられる。また、先に述べたように、皮膚の表面から直接、空気の中にあるものの栄養を吸収しているわけである。
皮膚の下には、目に見えない神経というものが充満し、漂っている。これは一つの薄い層となって、体全体のありとあらゆるところに存在しているのである。人間の皮膚の下には、そうした「気」神経という、目に見えない層があるのだ。
そこで、皮膚が傷を受けたりしても、すぐにその「気」が働いて、回復、再生してくれる。だから、ほうっておきさえすれば、すぐに元通りになる動きが始まる。動きが始まって働きになって、だいたい痛さ、つらさをなくする働きを作る。
こうした感覚を持つ皮膚の大きな役割は、肉体的生命を内と外に隔離すると同時に、内と外を交流させることにある。つまり、皮膚は自己と非自己を分けて、排除したり、受け入れたりする器官なのである。
皮膚には、頭部に七つ、下半身に二つないし三つの穴がある。この穴も皮膚の一部として、外界との交流を行う大切な役割を果たしている。一般に五感といわれる皮膚感覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚は、皮膚が有する特殊な能力である。私は、この五感を外部の感覚を感じる器官という意味で、五官と表現することにしている。
皮膚はもともと、脳と同じ外胚葉と呼ばれる部分から分化したもので、さまざまな能力を持ち合わせている。特に皮膚表面に開かれた穴の周辺は、外部と内部との交流をつかさどる感覚受容器官がびっしり集まっている。人間が感じることのできる外部からのすべての刺激は、この五官を通じて伝わるのである。
私たちは、感覚というものは自己の内部から発生するものだ、と考えがちである。だが、感覚というのは、皮膚を越え、伝わってくる外部からの刺激であり、皮膚を通して感じる外の世界なのである。外界とは自己を映す鏡であり、言い換えれば自分自身ということになる。人間は内と外をつなぐ感覚器官によって、自己を認識するのである。
人間の感覚は磨けば磨くほど光るものである。それは、自分を鍛え、知ることにもつながる。現代に生きる人は、もっと感覚を重視しなければならない。
ちなみに、皮膚が外界との交流を行う大切な役割を果たしていることは、体に触れられないで育った子供が情緒障害になることでもわかる。
触覚に関する実験で、赤ちゃんの猿に決して他の猿が触れないようにすると、赤ちゃん猿は感情的にも、行動的にも異常になる。成長しても、自閉症のように他の猿と付き合うことを好まず、一匹でじっとしているようになる。
人間の場合も、母親や他の人が抱いたり、触ったりのスキンシップをしないで育てた子は、情緒障害を起こすといわれているのである。
∥全身の出物が発する健康情報(3)∥
∥皮膚の垢をチェックする(2)∥
●入浴で肌を清潔にして若さを保とう
人間の皮膚というものは、体温の調節器官であり、有害なものを遮断する最前線の防衛網である上、大気中から酸素や窒素、「気」も吸収し、さらに外部と通ずる感覚受容器官でもあった。
従って、皮膚を清潔にして、それらの機能を促進するため、毎日入浴することをぜひ勧めたい。加えて、身近な入浴は、全身の組織を柔らかくし、体液をアルカリ性に変える作用もするし、精神と肉体の若さを保つ効用も認められる。
人間が若さを保つためには、感情や肉体の圧力が大敵であり、圧力のある人は心臓に負担がかかり、血圧が高くなり、体にガスができるからガンの原因にもなるのであるが、風呂にのんびり入って疲れをとるのが、その解消法として好ましいのである。
ほかにも、息を吐く、水を飲む、体を投げ出して休むなど、生かされているという形になれば、圧力は解消するものである。
特に年寄りは、毎日風呂に入るのがよいだろう。入浴好きの人は長命である。体を休ませ、温める。そして、肌の清潔を保つことにもなる。
寒冷の地方の人は、冬など入浴を面倒がったりするが、それはよろしくない。温暖の地方に長寿者が多いのは、単に気候のためばかりではなく、入浴の度数が多いということも大きな原因になっている。
ぬるめの湯で、みぞおちのあたりまで下半身をよく温めると、上寒下温の効き目もある。
昔の人は「頭寒足熱」などといって、頭は涼しく、足は温かくすることを健康法としてきた。下半身は生かされているという、人間の根本を養う大事な部分であるから、ここを鍛えて血の巡りをよくするために、腰から下は冷えないようにする用心が大切なことを、体験的に知っていたのである。
年配の者は絶対、腰と足を冷やしてはいけない。「暖かいな」と思っても、足は何か履いていなくてはいけない。そういう習慣をつけておくべきである。
この足腰を温かくしておく点で、入浴の効は実に大きいし、若さを保つ効果も顕著。血行がよくなり、神経が調整されるからである。
人間の体の健康というものは、細胞そのものだけでなしに、体内を循環する血液のよしあしにも影響されるものである。血液の循環作用が本当に正常になされていれば、病気にはならない。同時に、細胞自身がしっかりとありさえすれば、人間の体は盤石なもので、そこに健康が成り立ってくるものである。
年寄りの血管が古びていても、それを長く使えるようにするには、まず、第一には心臓に負担をかけないこと。第二には精神に負担をかけないこと。人間は我慢、忍耐、努力ということをよくやるけれども、これも血液や血液の循環に対しては、よくないことなのである。実際、血液に負担がかかっていても、血管や血液自体にはそれほど圧迫を感じずに循環がなされているから、これが本人にはわからないのである。
人間の血管というものは、寒さに対して非常に弱く、暑さにはそれほど影響を受けないものであるから、風呂に入るということで、血液の循環というものは、まさによくなるわけである。
●心身の疲れがとれる正しい入浴法
年寄りばかりでなく若い人たちにとっても、毎日の入浴が体に果たす役割は大きい。心に果たす役割も大きい。
昼間の仕事中、勉強中というのは、大抵の人が筋肉も、精神も緊張させている。夜の入浴は、その心身の緊張を解いて、体を温め、休息の態勢を整える。一方、朝のシャワーは、まだ始動していない頭と全身を目覚めさせ、やる気を呼び込んで、出陣の態勢にする。
ここで重要なのは、入浴の仕方一つで体は楽にもなるし、逆のことにもなるということだ。正しい入浴は夜の疲れをとり、朝の活力を起こさせるが、入浴でかえってだるくなったり、寝つけなくなることもあるので要注意。
入浴が楽になるか苦になるか、その分かれ目となるのは、お湯の温度と入浴の時間である。
例えば、熱いお湯にざっとつかる、江戸の銭湯のような入浴では、熱いという刺激が交感神経の緊張をうながし、神経を鎮静するどころか、かえって興奮が呼び起こされる。これでは一日の疲れをとって眠りに入ろうとする人には、まるで向いていないということになる。
安らぐための入浴であれば、皮膚との温度差の少ない三十七度前後のお湯に、ゆったりと長めにつかるのが望ましい。この温度だと、ストレス解消などをつかさどる、副交感神経に作用してくれるからだ。ただし、肉体疲労時にぬるいお湯に長くつかりすぎると、かえって疲れやだるさが引き出されるので、適度に引き上げること。
夜の入浴と反対に、朝の入浴の場合は、四十度以上のやや高温のお湯にざっとつかり、交感神経を刺激するとよいだろう。眠気は飛び、体もしゃんと緊張して、活動しやすくなるはず。
逆に、朝からぬるい湯にのんびりとつかっているのでは、副交感神経の出番となり、ストレスがなくなるのはいいが、仕事や勉強に取り組むやる気までも失せてしまうので、注意を要する。
●上寒下温効果が認められる半身浴
温度と時間に左右されるといえども、本来、入浴が頭の働きを高めることは、アルキメデスの原理がお風呂で発見されたことでもわかる。人間の発生という観点から考えると、脳は皮膚が変形したものであり、皮膚のほうは脳の薄い膜ともいえる。この薄い脳から内臓や脳へ神経が通っていて、皮膚の刺激が脳へと伝わっていくのである。
この皮膚刺激をもっと効果的に行う入浴法として、熱い湯に入っている最中に、体に冷たい水をかけるという方法もある。
赤ちゃんが仮死状態で生まれた時、熱い湯と冷たい湯に交互に入れると、薄い脳の膜である皮膚が刺激されて産声を上げることがある。
皮膚表面を温めたり、冷やしたりの繰り返しは、体全身を刺激することになるから、毛細血管や自律神経、感覚神経を通して脳に刺激を伝えるのである。そして、冷たい水をかけるということは、生体防衛反応を働かせて、脳を活性化させるのだ。
次に、日常の入浴は全身浴であるが、上寒下温の効果がある半身浴を実行してみるのもいいだろう。半身浴とは、下半身だけを温める入浴法のことである。先にも述べた通り、足や腰など、体はとかく下半身だけが冷えてしまいがちだが、頭寒足熱でじっくりと温まることによって、万病の元である冷えを取り去ろうという入浴法だ。
一言で半身浴といっても、やり方は何通りかある。裸になって、ぬるいお湯にみぞおちから下を長い時間、のんびりとつける方法。また、上半身は肌着を着込んで、腰から下だけを温める腰湯と呼ばれるもの。薬湯に腰から下だけつかる方法もある。
共通しているのは、下半身をじっくりと温め、肌に汗をたっぷりかくことで老廃物を排出し、疲労、倦怠感、だるさを取り去り、肩凝り、腰痛をいやし、血圧を安定させと、いいことずくめであることだ。何度か試してみて、自分の体質に合った温度、入浴法を選んでみたらいいだろう。
そのほか、風呂に入る際は、体全体を健康にするために、体を洗う時など、亀の子だわしかヘチマのような、少し質の強い物で皮膚を刺激すると、皮膚から本当の艶が出る。皮膚は外界と内界との境界にあるものだから、皮膚が強くなると、本当の肉体の血色というものが輝くように出てくるのである。
人間の体というものは、縦横に均整のとれたものであるから、あまり太りすぎている人は、養分を節するか、運動をする。亀の子だわしで、湯に入る時も、起きる時も、裸になってよくこすり、摩擦していると艶が出る。常に生き生きとして、皮膚呼吸をするから、血色がよい。
入浴に際して注意してほしいことは、飽食、大食して風呂に入ることは禁物で、食事をしてすぐに入浴することも、健康にとってはマイナスになるということである。
●頭のフケは皮膚の垢と同じもの
全身の皮膚の一部に、頭の皮膚がある。皮膚の細胞が角質化し、表皮からはがれたカスが垢だったのに対して、頭の皮膚の場合はフケと呼ばれている。垢とフケは同じものなのだ。
清潔指向が強い現在の日本では、たくさんのフケがある人を探すのは難しいはずであるが、実は意外に、フケに関して悩んでいる人は多い。フケは少しでも目立つもので、肩にパラパラといった程度でも、印象に影響するのである。
単純に、頭を洗えばフケは出なくなるというものではない。フケ性の人は、洗っても洗っても、フケがどんどん出てきて止まらないということもある。このような場合は、異常なフケが出ていることが多い。頭の出物にも、正常なものと異常なものがあるわけだ。
皮膚の垢と比較してフケが目立つのは、頭皮にはたくさんの皮脂腺があって、そこから分泌されている脂肪がフケ同士をくっつけてしまうからであり、大きなフケが出て困っている人は、皮脂が多すぎるのかもしれない。
逆に、頭皮の皮脂が少なすぎても、フケに悩まされることになる。乾燥した細かいものが出るのである。
いずれの場合にしろ、脂っぽいのか、乾燥しているのか、自分の頭皮の状態を調べて、それに合わせたシャンプーやリンスを活用すれば、正常なフケは抑えることができるだろう。
問題は異常なフケであり、いわゆるフケ性の人の頭皮では、何らかの原因で新陳代謝のスピードが速くなり、その結果として角質層がどんどん作り出され、それが大量のフケになる。いくら頭を清潔にしても、そのままの状態では逃れる方法はない。
新陳代謝を速める原因は、さまざまな刺激である。紫外線や微生物、傷、あるいは精神的ショックやストレスも刺激となる。また、毛髪や頭皮に付着した汚れや微生物による刺激も、フケの大きな要因なのである。
頭を清潔に保つことと同時に、ストレスのない安定した生活を送ることが必要なのである。
∥全身の出物が発する健康情報(4)∥
●内臓の悲鳴が体の凝りに現れる
さて、心のストレスが頭皮の異常なフケになって現れるように、人間の内臓のストレスが皮膚などいろいろなところに、出物、腫れ物となって姿を現すこともある。
朝、起きて鏡に向かったら、何だかまぶたがはれぼったい。これは、単なるものもらいのこともあるが、場合によっては心臓病や腎臓病の可能性もある。目ではほかに、白目に黄色っぽい症状がある場合は、黄疸(おうだん)が疑われる内臓疾患である。
口から強い口臭が出ていたら胃腸病や肝臓病、舌が鮮明な赤だったり、深い赤だったら肝臓病や糖尿病、舌苔(ぜったい)が黄色かったら消化機能の低下が考えられる。
肌にしみやそばかすが増えた場合は、肝臓や腎臓の機能低下。肌の見た目はきれいだが、かゆい場合は、糖尿病や肝臓病。爪(つめ)が丸みを帯びた太鼓バチ状になっていたら、心臓の異常。半月が消えたら、肝硬変。それらに注意したいし、手のひらを見て親指、小指の付け根の赤みが強い際は肝炎、肝硬変が疑われる。
このように、私たちの体は、内臓の悲鳴、内臓疾患の兆候を移す鏡である。もちろん、今、挙げた症状が、内臓以外の他の原因によるものだということもある。だが、ちょっとした異変が起きたら、それを見逃さないことが大切なのであり、迷わず病院にいって診察を受けることをお勧めする。
人間の体の凝りというものも、体の内部から発せられる出物情報の一つに挙げてよいと思う。
現代人の体はみな凝っている。疲れ切っている。四十歳くらいまでは無理もきくが、内臓の悲鳴が首や肩や背中の凝りとなって現れている場合もあるから、この無理が人生の後半になって、成人病として一度に現れかねないのである。
そこで、人体の首の凝りについて、その影響と解消法を述べておく。
この人間にとって重大な急所である首について、平素、世間では案外なおざりにしているが、実は、人間が生きてゆくためにも、意識的働きの上にも首筋は大きな役目をしている。喜怒哀楽、緊張弛緩などに首筋の働きは大きい。
人体において首ほど前後、左右、上下、自由自在に曲がるところはなく、馬や牛やイノシシなどと比較して、同じ脊椎(せきつい)動物の中でも霊長類や鳥類などは、天地創造神に、大いに感謝しなければならない。
人間の首が、自由に動くのは、首の両脇の筋肉が強いからで、その上、どんなショックでも緩和してくれている。といっても、自動車の追突とか、断崖からの転落などのように、受け切れないショックを受けた場合には、致命傷となるのもやむを得ないこと。
首筋の左右には、大動脈があり、強力な筋肉が重い頭を支えているので強く堅そうであるが、実は意外に弱いところである。人間の急所中の急所は、心臓と首である。
例えば、首筋が柔らかく自由に働かぬと、唾液ホルモンの分泌に影響が起こる。口が渇く。特に首の病気というものはなくとも、首の不調からくる人間性の低下は意外に大きいものがある。
首筋が凝ると頭は重く、何か圧迫感を常に受ける。肩凝りの人は、首筋から和らげることが肝心である。頭の重い人、目のかすむ人など多くはここに起因する。首筋が凝るのは、「俺が俺が」という自我意識の強い人に多い。絶えず我意、我執が強く胸内圧が高いから肩に力が入り、自然と首が凝るようになるのだ。
胃が悪くても首筋が凝る。背中が疲れると首筋が凝る。首筋を凝らせないように、いたわりながら日数をかけて気長に、根気よく、柔らかく、軽くもみほぐすならば、ムチウチ症などもいつか治る。この時、精神が安定しないと、もんでも治らない。
首筋は微妙な急所であり、細胞も神経も血管も、繊細にして巧妙に働いているところだから、ちょっと寝違えただけでも、ひどく不自由をするもの。寝ていて首筋の張るのは、脳と内臓に欠陥のある証拠、寝違いは、機械的な違和からきたものである。
一日に何回でも、気がついた時に、フッと息を吐き、胸圧を抜き肩の力を落とすと、首に詰まっていた力が抜けてくつろげる。首筋を和らげるには力はいらぬ。むしろ、力を抜くこと。そのためには、下半身に力を入れること。それは呼吸法のコツでもある。
もみほぐして首を和らげる場合には、指圧をするほど強く圧してはいけない。肩や、背中の疲れが首にくる。首に響く筋肉を、その線でほぐすのがよい。
また、右か左かが、凝りすぎている時、悪いほうを一度に治そうとせず、反対側をまず和らげることを忘れてはならない。
後頭部や前顔部、喉、胸などのもみほぐしも柔らかく、ゆっくり時間をかけてやること。頭を指圧する時も乱暴に扱ってはならない。コメカミも首につながるツボである。
首の手入れは軽くてよいから自分でできる。入浴後に欠かさずやるとなおよい。慢性肩凝り症は、首筋を和らげることを繰り返せば、いつの間にか自然にいえる。
誰もが割合に気づかぬところに、首筋をはじめ身体各部の凝りという健康上の大問題がある。体の凝りや疲れをとることこそ大切。
∥全身の出物が発する健康情報(5)∥
●全身を養う唾液は万能ホルモンである
人間の口から分泌される出物の一種に、唾液(だえき)というものがある。この唾液は、肉体全身を養うためにきわめて重要な役割を持っている。効用を挙げれば、その多彩さ、万能さに驚く人も多いだろう。
唾液について本当に知る人は少ないが、これが実は生命の源泉である。肉体の第一関門に存在して、万能力を発揮している。その働きによって、健康が保障され、老化も防げる。唾液こそは、すべてに作用する万能ホルモンなのである。
気化も、消化も、殺菌もすべて行う。味も、においも何もかも取捨選択する。犬の嗅覚の鋭さも、牛が粗食しながら、あれほど大量の乳を出すのも、みな唾液の効である。
消化作用というものも、胃や腸だけで行われるものではない。口の中でよく噛んで食べ、固形物を液化すれば、その大半は霊妙な唾液の働きで気化され、気化熱というエネルギーになり、体の細胞が直接に栄養を吸収してしまうものである。
胃腸で消化された後のカスは宿便となって体内に残るが、気化されてしまうとわずかなガスが残るだけだし、そのガスも朝の目覚めの放屁一発で消え去り、肉体はいつでもすがすがしく新陳代謝されている。
だから、よく噛むことは、それだけ唾液が豊富に分泌され、神秘的な効用を引き出すということで、それは消化を助けるばかりでなく、唾液中に含まれるさまざまなホルモンが全身の健康維持に大いに役立つ。
その上、よく噛んで食べれば、唾液の作用で物の本当の味わいがわかるものである。
味覚を起こす物質は水に溶けて、はじめて舌にある味細胞を刺激するものであり、唾液が重要な役割を果たしているわけだ。緊張したり、不愉快なことがあって唾液が出ない時は、「砂を噛むような」と形容される通り、食べた物に味が感じられない。
また、唾液には食物を消化、気化するための酵素のほかに、パロチンというホルモンが含まれている。唾液腺ホルモンが耳下腺から唾液とともに導管内に分泌され、再び導管中から吸収されて自由に移行することが発見され、後にその有効成分がパロチンと命名されたのである。
このパロチンは、骨や歯の石灰化を促進させ、血中カルシウム量を低下させるなどの作用で知られている。これが欠乏すると、変形性関節症などをうながすことにもなるのである。加えて、パロチンには老化を防ぐだけでなく、若返りにも大きな効果があることが、カルシウム代謝による実験データからも証明されている。
次に、おなじみのウナギを始め、強精食品には特有のネバネバがあるが、そのムチンという蛋白質は、唾液にも含まれている。
驚くのは、口の中に入ってくる物の種類に応じて、唾液はたちどころに、その有機成分の組成が変わってしまうということ。例えば、酸性食品の場合、唾液の分泌量は四倍になり、アルカリ性の有機成分がうんと増えて、うまく中和作用が働くといった具合である。
腹を立てると胃に悪いといわれるのも、唾液の有機成分がアチドージスに傾き、食べ物の消化が悪くなるからである。自己意識や心の状態によって唾液を変化させることは、好ましくない。五官の自然作用によって、自然のうちに変化に対応させれば、その機能を十分に生かすことができる。
そして、日本人の成人は牛乳不耐症、乳糖不耐症といって、ヨーロッパ人などに比べると、腸内の乳糖を分解するラクターゼという酵素が非常に少ないといわれるが、牛乳を飲む時には、あわてて飲み込んだりせず、じっくり噛むようなつもりで唾液の分泌をうながせば、下痢をしないですむものである。でんぷん質を消化するのも、唾液の働きなのだ。
夜の眠りの中では、口の中の唾液も乾きがちのものだが、それは分泌作用を止めているからではなく、内分泌腺ホルモンとして肉体組織に働きかけているからである。
●唾液の分泌が減った時は生命の危機
ここで忘れてならぬのは、虫歯を防ぐ唾液の効果である。砂糖の取りすぎなどから、小学校の低学年で虫歯罹患(りかん)率が九十とも九十五パーセントともいわれる通りで、現代人は不幸なことに、肉体の門戸で行われる歯と唾液との絶妙な交響楽が耳に入らない。それをすっかり忘れてしまっている。
虫歯の原因となる砂糖は甘くても酸性食品であるから、体液を酸性にするといわれているが、もう一つ、大切な唾液の根を枯らしてしまうことに、気づいている人は少ない。
砂糖を取りすぎると、早く老化してしまうのも、そのためである。扁桃腺が乾くと唾液の分泌が鈍るし、砂糖の摂取量に比例して、唾液の量は低下するのだ。
食べ物をよく噛むということは、唾液の効果で虫歯を防ぐばかりか、肉体の五官作用を盛んにし、生理のみならず、精神衛生に資するところきわめて大である。
ところで、食物を味わうために、唾液が重要であることは誰もが知っているだろうが、この唾液は食べ物を味わう時ばかりに出るものではない。
においを嗅ぐ時も、唾液の作用によって、においの味を味わうことができる。犬や牛を見ても、唾液は消化作用として機能しているばかりでなく、においを嗅ぐ、何かを探す、ということにも役立っていることがわかる。
つまり、唾液は生命をよりよく維持していくためにも、重大な役割を果たしているわけだ。人間も唾液が出なくなったり、少なくなったりした場合は、「生命力が乏しくなった、注意せよ」、と危険信号が出されている時なのだ。口中に随時分泌されている適量の唾液に負うところは、実に大きいのである
逆上る平成二年には、農水省の食品総合研究所が、人間の唾液に、動脈硬化や老人性痴ほう症の原因物質として注目されている過酸化脂質や、細胞や遺伝子を傷つける活性酸素の発生を防ぐ効果があることを突き止めた。
唾液は、消化や殺菌の働きのほかに、生命保存の著しい効果を持っていることが、生理学的にも証明されたわけである。
ネズミの唾液には、酸化を防ぐ主役の尿酸がない。ネズミが二~三年、人間が八十年という寿命の差には、唾液の成分が関係しているかもしれないという。
人間の場合も、唾液の分泌量は老人になると低下する。だから、老化防止には過食を避け、よく噛んで唾液を多く出し、唾液ホルモンという若返りの妙薬を活用すべきなのである。唾液の中にも、長命の秘密が潜んでいるからこそ、よく噛むことを勧めるのである。
その他、唾液の成分として、各種のビタミンや制ガン作用のあるペルオキシダーゼもかなり含まれているから、よく噛むことにより、ガンの予防にもなる。
加えて、年を取るに従い血圧が高くなりがちなものだが、唾液の中には血圧を下げる物質が、自然に増えてくるようになる。無論、低血圧の場合には、その逆の作用が働く。
このように、神秘的な働きを持つ唾液には、一般に考えられている以外に、多くの効用が明らかになっている。これも自然の巧妙な摂理といえよう。
肉体のホルモンの中で、唾液ほど重要なものはない。実際に、唾液は万病薬、老衰の予防薬なのである。
食事の時に百回ずつ噛んで食べたら、神経痛やリウマチまで治ってしまったという、アメリカの臨床例もある。これなども、唾液の働きが単なる消化作用だけにとどまらぬことを、生化学的に証明している話であるといえよう。
次に、「寝る子は育つ」といわれるように、眠っている間は唾液が成長ホルモンとして働くことも、生化学的に証明されている。
新生児というものは、唾液がありあまっているから、ヨダレを流している。生命力にあふれる幼児の時代も、唾液の分泌は盛んである。生命の核ともいうべき細胞を、日々新たに製造しなければならない時期には、唾液はおのずから濃厚に、豊富になってくるのである。これも、肉体自然の摂理なのである。
成人するにつれて、次第に唾液の出方が少なくなるのは、肉体的な成長が止まったためというよりも、むしろ、自然作用の発生を自己意識が邪魔をして、唾液腺を枯らすなどしている場合が多いものである。
∥全身の出物が発する健康情報(6)∥
∥「気」の発動をチェックする∥
●肉体は「気」の吸収体であり、放射体
もう一つ、唾液には重要な働きがある。それは空の世界からくる「気」の働きを助けるものだが、そのことを知る人は少ない。
口を働かせること。五官の一つである口を十分に働かせて、口を通して宇宙の「気」を受けることである。「気」の中から作られるエネルギーによって、唾液から唾液ホルモンが作られる。それが肉体細胞の収縮運動を助けるのである。
肉体というものは、自覚のいかんを問わず、無限宇宙とつながることのできる唯一無上の存在なのであるから、口の働かせ方をおろそかにしてはならない。
人生は、エネルギーの消耗と補給の連係プレーである。補給のために、すぐ食べ物を問題にするが、食べ物からエネルギーを得るだけでは、それほど効率はよくない。口など五官を通して宇宙エネルギー、宇宙の「気」を吸収する。これが最も効果的な補給法である。食べ物を味わい、消化、吸収するためにも、肉体が健全、賢明な宇宙性を備えていなければならない。
ここまで、頭のフケから下半身の糞尿屁まで、人間の肉体の出物、腫れ物が発するメッセージの解読法をお伝えしてきた。最後に、肉体が発する出物の一種に「気」があることも、告げておかなくてはならない。
人間の肉体は、起きている時も寝ている時も、肺呼吸や皮膚呼吸で宇宙の「気」を吸収している一方で、肉体そのものから宇宙性の「気」を出している。それは、「気」という目に見えない触手であり、霊的波長のようなものでもあり、悟り、勘、ひらめき、あるいは気力、元気であったりもする。
私たち人間の肉体は、宇宙の「気」の吸収体であると同時に、放射体であるというわけだ。
そして、この「気」というものは、天地宇宙に遍満するもので、万物の生命の根源。人間の肉体も、そのまま小宇宙、小天地であり、宇宙天地大自然と同じ「気」によって支配されている。
だからこそ、「気」というものは、人間の心身の健康ばかりでなく、すべての営みにかかわっているのである。
病気とは、読んで字のごとく「気」が病んでいることにほかならない。「気」が弱っていれば、肉体も弱っていることになる。悲しみや怒りが肉体の内にたまると「気」を弱め、精神や肉体に悪影響をおよぼすのである。
十七万六千余の種類があるという人間の病気、そのほとんどは生命の根源である「気」が不順、不調だったり、宇宙大自然の「気」を受けることを知らないために、肉体までてきめんにむしばまれ、衰弱してしまう結果起こるのである。
なぜなら、人間は宇宙空間を満たす「気」によって生かされているのであり、人間の体の中の諸器官は、すべて「気」によって働かされている。この「気」から作られる自然のエネルギーは、肉体を驚くほど充実させるものである。
宇宙の「気」は、肉体が正常な機能の営みを続けるために欠かせないものなのに、その「気」を養うことを知らず、気力の乏しい人には、生命の根源である元気が湧いてこない。とどのつまり、肉体までむしばまれることにもなる。
病は「気」からが科学であることは、現代心身医学の新しい脳神経やホルモン生理学の理論によって立証されている。肉体を信じ、肉体を主として生きれば、肉体が精神を調節し「気」を統御するから、自然に病気にかからなくなるし、自然治癒力も高められるのである。
しかしながら、病気かどうかを決めるのは、本当は肉体なのに、人間は自己意識や心で勝手気ままな想像をして、まさに病は「気」からのことわざの通り、自分で病気を作り出してしまうものである。
例えば、昔からよく経験するところでは、心労が重なると大病を招きやすいこと、受験生が風邪を引きやすいこと、憎しみなどが心筋梗塞(こうそく)に陥りやすくすること、抑うつ状態はガンの進行を速めること、孤独な人間は早く死ぬことなどがある。
●「気」は生命を持続させるエネルギー
病は「気」から、つまり「気」の持ち方によって、人間は肉体の病気や、心疾という精神の病気にかかる。逆に、気性が明るいといった体質、楽しい気質を作るように心掛けることが、体を丈夫にし、病気から守るための有力な武器となることは論を待たない。
「嫌だなあ、今日は気分が悪いなあ」と思うと、その思いによって体の調子は悪くなり、仕事の能率も低下する。このように、物を嫌うということが病気の原因となることがある。物は者であっても同じことである。
最近は、医学でも、心理作用が病気を作ったり、病気の回復や治療によい影響を与える例をいくつも挙げている。
健康と長寿のカギは、私たちの日常の何でもない生活の中に潜んでいる。「私は病気だ」と常々いっている人は、その言葉で病気が招き寄せられ、その人の体に巣づくようにもなる。
人間が病気になるのは、宇宙の「気」が充実されないために生命活動が不調になることであるが、その原因には、病原菌も、肉体の欠陥も、心の悩みもある。不安や不満、憎悪や嫉妬(しっと)といったものに捕らわれ続けると、心の影響を受けやすい自律神経やホルモンは正常な働きができなくなる。結果的には、体の恒常性が失われ、神経性の病気になる。それがさらに重なれば、確実に肉体の病気としかいえない状態にまで落ち込んでしまう。
これを防ぐには、疲れたら休むというエネルギーの転換法を実行することだ。
疲れたら休んで生命の「気」を養い、体の中の圧力を除くことがよい。肉体の圧力は、それがたとえ微弱なものであっても、度重なって加えられることによりたまると、機能障害や病気の原因になる。
圧力は、なるべく小さいうちに取り除かなければならない。吐息をつくとか、アクビをするとか、放屁をするとか、背筋を伸ばすとか、これらもすべて肉体が自然に行う圧力の解消作用である。この肉体にはおのずから、自然のリズム、原則があり、こうしないといけないという規則があるから、それを活用して病気を防ぐのである。
それが可能なのは、人間の肉体というものが、「気」エネルギーを出せば出すほど、使えば使うほど多く出るようになる、汲(く)めども尽きぬ泉であるからこそである。
この点、「気」エネルギーの再生産力の持ち主、いわゆるエネルギッシュな活動家は、決して無駄で余計な意識や感情を使うことなく、明るい「気」を振りまきながら仕事に取り組んでいる人である。昼間は、精力的に自分の持てるエネルギーを使い切る。もちろん仕事で疲労するが、そういう活動家は一晩ぐっすり寝ると、疲労そのものを翌日のエネルギーに変換できるのである。
誰もが「気」を入れ替え、気力を充実させるために、夜はできるだけ早く寝て、「気」を養うことに努めよう。せっかくの休日に遊びほうけ、疲れ果てて病気を招くなどは愚の骨頂と知るべきである。
睡眠は単なる休養ではない。夜、眠っている間に、人間を生かし働かせている宇宙と一体となり、宇宙エネルギーを肉体エネルギーにも、精神エネルギーにも変換している。疲労そのものがエネルギーに変わり、肉体バッテリーは充電し、明日の活力となる。
編集子のいう「気」という宇宙エネルギーが、肉体バッテリーに蓄積される場所は、腹の底にある。この腹の底の層に蓄えられた「気」は、宇宙エネルギーそのものであるから、大いに活用できるわけだ。
下半身の他力層の喚起によって、肉体一色の生かされの生命エネルギーを吸収して、「気」を常に充満させておくことが大切。人間心という意識で肉体を酷使する生活ではなく、眠りによって体に「気」を充実させ、肉体の自然作用、自然感覚の高揚を目指さねばならないことを強調しておこう。