∥歩いて鍛える∥
●自然の中を歩いて汗をかくのも大切
現代の社会においては、特に都会で暮らす人たちにとって、自然に触れる機会が、真に少ない。暇を作っては仕事を忘れ、都塵(とじん)を避けて野や山へゆき、あるいは海や川へゆき、自然との交流をはかりながら、自然の中に融け込んでもらいたいもの。
山紫水明、四季分明の自然に恵まれた日本であるから、都会にもゆく所はたくさんあるはずだ。
加えて、自然に触れ、自然に返り、自然の中を歩き回って、汗をかくという効用も見直してもらいたいもの。
近頃の人間は、クーラーなど冷房設備の普及によって、汗をかかなくてすむようになった。なるほどクーラーは快適で、真夏の候でも暑さ知らずで過ごす人もあることだろうが、それによる弊害のあることも知っておきたい。
人間、尿が出なければ大騒ぎする。汗をかかないことも、人間の生理にとっては一大事なのである。自然の中を歩いて汗を流し、体を練り、鍛えるということは、人間にとって大切なことなのだ。
とりわけカドミウム、ダイオキシン、PCB、水銀、ヒ素、農薬、添加物などによる食品汚染や環境汚染が問題とされている昨今、これらの有害物質を全く取り入れないということは不可能に近い。しかしながら、幸いなことに、私たち人間の体というものは、自動的に有害物質を体外に排泄(はいせつ)する機能を完備している。それが、皮膚に備わった汗腺(かんせん)。
休日には、大自然の中を歩いて汗を出すことである。ふだんの日には、働いて汗を出すことである。真夏には、冷房にあまり頼らず自然に汗を出すことである。
この汗が、有害物質を道連れにしてくれる。何とありがたい、肉体の仕組みではないだろうか。汗をかくことによって、体温の調節ばかりか排泄の機能も果たされる。
今日、冷房病などという結構な病に悩まされる人がいたり、太りすぎの肥満症にかかっている人が多くいたりするのは、まさに文明病であり、運動不足といえる。
ハイキングや山登りに遠出したり、朝夕、大きく手を振って汗をかくくらいに、せっせと歩かなければならない。
冷房病、肥満症の人ばかりでなく、誰もが健康法の一つとして、足腰の筋肉を中心に、労をいとわず自らの体を使うということを、決して忘れてはならぬ。人間の体というものは、使わなければそれだけ衰えていく。あまり大切にしすぎても、かえって体のためにならない。
古代ギリシアの医者で、「医学の祖」、あるいは「医術の父」と称せられるヒポクラテスが、「人間の体は、使うことで開発され、使わないことで弱くなる」といっている通りなのだ。
山紫水明、四季分明の自然に恵まれた日本であるから、都会にもゆく所はたくさんあるはずだ。
加えて、自然に触れ、自然に返り、自然の中を歩き回って、汗をかくという効用も見直してもらいたいもの。
近頃の人間は、クーラーなど冷房設備の普及によって、汗をかかなくてすむようになった。なるほどクーラーは快適で、真夏の候でも暑さ知らずで過ごす人もあることだろうが、それによる弊害のあることも知っておきたい。
人間、尿が出なければ大騒ぎする。汗をかかないことも、人間の生理にとっては一大事なのである。自然の中を歩いて汗を流し、体を練り、鍛えるということは、人間にとって大切なことなのだ。
とりわけカドミウム、ダイオキシン、PCB、水銀、ヒ素、農薬、添加物などによる食品汚染や環境汚染が問題とされている昨今、これらの有害物質を全く取り入れないということは不可能に近い。しかしながら、幸いなことに、私たち人間の体というものは、自動的に有害物質を体外に排泄(はいせつ)する機能を完備している。それが、皮膚に備わった汗腺(かんせん)。
休日には、大自然の中を歩いて汗を出すことである。ふだんの日には、働いて汗を出すことである。真夏には、冷房にあまり頼らず自然に汗を出すことである。
この汗が、有害物質を道連れにしてくれる。何とありがたい、肉体の仕組みではないだろうか。汗をかくことによって、体温の調節ばかりか排泄の機能も果たされる。
今日、冷房病などという結構な病に悩まされる人がいたり、太りすぎの肥満症にかかっている人が多くいたりするのは、まさに文明病であり、運動不足といえる。
ハイキングや山登りに遠出したり、朝夕、大きく手を振って汗をかくくらいに、せっせと歩かなければならない。
冷房病、肥満症の人ばかりでなく、誰もが健康法の一つとして、足腰の筋肉を中心に、労をいとわず自らの体を使うということを、決して忘れてはならぬ。人間の体というものは、使わなければそれだけ衰えていく。あまり大切にしすぎても、かえって体のためにならない。
古代ギリシアの医者で、「医学の祖」、あるいは「医術の父」と称せられるヒポクラテスが、「人間の体は、使うことで開発され、使わないことで弱くなる」といっている通りなのだ。
●足は脳を養い、脳は手を養う
この点、一般の社会人が健康状態を維持するには、一日に三十分以上歩く必要があるという、いろいろな機関の医学的研究が発表されている。
一日の歩数の多い人ほど、心電図異常の発現が少ないとか、動脈硬化を助長する高脂血状態が改善されるという発表も見られる。速足歩きなどを行うと、血液中の余分な脂質が燃焼し、善玉コレステロールも増えるから動脈硬化が防止され、その結果、脳へよい血液が多量に循環されることになるわけだ。
そこで、誰もが健康を保つために、ハイキングや山登りに出掛けて、自然の景観を楽しみながら歩いてもらいたいのであるし、日常生活においても速足歩きを実行することをお勧めしたい。
私たち人間は普通、一分間に七十~八十歩の速度で歩いているが、速足歩きとは百歩前後にスピードを上げること。時間は、一日に二十分から三十分程度で結構。
この人間の体を支える足を使って歩くことによって、当然、足の衰えを防ぐことになる上、血液の循環がよくなり、血圧も調整されるばかりか、脳の働きも活性化する。
歩く時には、足の筋肉の中にある感覚器の筋紡錘(きんぼうすい)から、しきりに信号が出て、私たちの大脳へ伝えられる。大脳のほうは、感覚器から網様体経由でくる信号が多いほどよく働き、意識は高まって、頭ははっきり、すっきりするようにできている。
人間の若さは大脳に集約されて現れ、「足が衰えると長生きできない」などと、よくいわれるのも、足の筋肉から大脳へゆく信号が減り、弱くなるためである。
歩くのに使われる筋肉、すなわち歩行筋と呼ばれているものだけで、我々の全身の筋肉の半分以上を占めている。歩くという単純な運動を続けるだけで、大脳ばかりか、体の多くの筋肉を鍛えることができるのである。
言い換えれば、「足の筋肉が大脳を養っており、筋肉の衰えが大脳の衰えに直接つながる」ということ。
人間の二本の足は、それが今どうなっているかという信号や情報を多量に、かつ盛んに大脳に送り続けている。つまり、足は末端から大脳へという求心性の制御機能を多く持っているのである。対して、手は大脳から末端へ指令が出る遠心性の制御機能を多く持っている。
そのために、「脳は手を養い、足は脳を養っている」といわれたりするのだ。
足や胴体に多い求心性に優れた筋肉には、遅筋線維が多く、物を投げたり、つかんだり、けったりする時に主に使われる遠心性に優れた筋肉には、速筋線維が多くある。速筋線維、すなわち相性筋線維は、年齢とともに委縮して大きな力は出せなくなるが、遅筋線維、すなわち緊張筋線維のほうは、速足歩き程度の運動をしていれば委縮することはない。
そして、この遅筋線維を衰えさせないことが、脳のために重要なのである。というのも、遅筋線維は、立ち上がることや歩くことが減ると、筋線維の数を減らしてしまうからである。すると、脳の働きを活発にさせる働きが弱くなってしまう。
このような足と脳の関係があるので、「足が衰えると長生きができなくなる」といわ.れるのである。
不断の歩行により、大地に足を印することは、脳に微妙な刺激を与え、脳の疲労を除き、脳を健全にすることにも役立つことを忘れないでほしい。
頭をはっきりさせるばかりか、歩くことの刺激によって、人体の横隔膜の下にある肝臓、胃、腸、脾(ひ)臓、すい臓、腎臓、膀胱(ぼうこう)、それに女性ならば子宮などの臓器において、停滞している機能が適度にほどけて、働きが活発になる。
同時に、横隔膜の上位にある心臓も肺も、機能的に血液の循環をよくし、血液への酸素供給が盛んになるため、当然、意識はすっきり、気分はさわやかになってくるのである。血液の流れが速くなるので、管にたまった汚れを掃除する。血管が膨張して、若返る。しかも、刺激が強すぎることもない。
一日の歩数の多い人ほど、心電図異常の発現が少ないとか、動脈硬化を助長する高脂血状態が改善されるという発表も見られる。速足歩きなどを行うと、血液中の余分な脂質が燃焼し、善玉コレステロールも増えるから動脈硬化が防止され、その結果、脳へよい血液が多量に循環されることになるわけだ。
そこで、誰もが健康を保つために、ハイキングや山登りに出掛けて、自然の景観を楽しみながら歩いてもらいたいのであるし、日常生活においても速足歩きを実行することをお勧めしたい。
私たち人間は普通、一分間に七十~八十歩の速度で歩いているが、速足歩きとは百歩前後にスピードを上げること。時間は、一日に二十分から三十分程度で結構。
この人間の体を支える足を使って歩くことによって、当然、足の衰えを防ぐことになる上、血液の循環がよくなり、血圧も調整されるばかりか、脳の働きも活性化する。
歩く時には、足の筋肉の中にある感覚器の筋紡錘(きんぼうすい)から、しきりに信号が出て、私たちの大脳へ伝えられる。大脳のほうは、感覚器から網様体経由でくる信号が多いほどよく働き、意識は高まって、頭ははっきり、すっきりするようにできている。
人間の若さは大脳に集約されて現れ、「足が衰えると長生きできない」などと、よくいわれるのも、足の筋肉から大脳へゆく信号が減り、弱くなるためである。
歩くのに使われる筋肉、すなわち歩行筋と呼ばれているものだけで、我々の全身の筋肉の半分以上を占めている。歩くという単純な運動を続けるだけで、大脳ばかりか、体の多くの筋肉を鍛えることができるのである。
言い換えれば、「足の筋肉が大脳を養っており、筋肉の衰えが大脳の衰えに直接つながる」ということ。
人間の二本の足は、それが今どうなっているかという信号や情報を多量に、かつ盛んに大脳に送り続けている。つまり、足は末端から大脳へという求心性の制御機能を多く持っているのである。対して、手は大脳から末端へ指令が出る遠心性の制御機能を多く持っている。
そのために、「脳は手を養い、足は脳を養っている」といわれたりするのだ。
足や胴体に多い求心性に優れた筋肉には、遅筋線維が多く、物を投げたり、つかんだり、けったりする時に主に使われる遠心性に優れた筋肉には、速筋線維が多くある。速筋線維、すなわち相性筋線維は、年齢とともに委縮して大きな力は出せなくなるが、遅筋線維、すなわち緊張筋線維のほうは、速足歩き程度の運動をしていれば委縮することはない。
そして、この遅筋線維を衰えさせないことが、脳のために重要なのである。というのも、遅筋線維は、立ち上がることや歩くことが減ると、筋線維の数を減らしてしまうからである。すると、脳の働きを活発にさせる働きが弱くなってしまう。
このような足と脳の関係があるので、「足が衰えると長生きができなくなる」といわ.れるのである。
不断の歩行により、大地に足を印することは、脳に微妙な刺激を与え、脳の疲労を除き、脳を健全にすることにも役立つことを忘れないでほしい。
頭をはっきりさせるばかりか、歩くことの刺激によって、人体の横隔膜の下にある肝臓、胃、腸、脾(ひ)臓、すい臓、腎臓、膀胱(ぼうこう)、それに女性ならば子宮などの臓器において、停滞している機能が適度にほどけて、働きが活発になる。
同時に、横隔膜の上位にある心臓も肺も、機能的に血液の循環をよくし、血液への酸素供給が盛んになるため、当然、意識はすっきり、気分はさわやかになってくるのである。血液の流れが速くなるので、管にたまった汚れを掃除する。血管が膨張して、若返る。しかも、刺激が強すぎることもない。
●歩きで精神的ストレスも軽減できる
歩くことは、基本的に無害なトレーニングであり、運動なのである。この点、運動生理学者も、トレーニングによって体を練り上げ、鍛え上げられるだけでなく、精神的なストレスも軽減できると保証している。
私たち人間の肉体はよくできたもので、外界から刺激や緊張などのストレスがかかると、これをはね返そうと働き、体を鍛える。トレーニングの原点は、ここにある。
加えるに、運動によって、脳の中に天然の鎮痛剤であるエンドルフィンという物質が分泌される。モルヒネの数百倍とされる効き目があり、不安の痛みを鈍らせ、ストレスの影響を緩和するといわれている。
しかしながら、ジョギングなどの強い運動をすると、攻撃性の強い酸素分子で、万病の元になる活性酸素が体内に発生するために、健康に有害な面もあるといわれる。歩くといった緩やかな運動の場合は、脳内ホルモンが出て活性酸素の害を中和してくれる。その意味でも、歩く運動は適している。
走るより軽い歩行でもストレスを軽減できるし、さらに、歩くことによって下半身の筋肉の運動がなされて、腸の蠕動(ぜんどう)運動も順調になる。便秘というものは、腸の蠕動運動が鈍るために起きる現象なのである。
このように、歩くという単純な運動でも、脳をも含めての内臓諸器官を調整し、強化することになるわけだ。このことは、とりもなおさず、一切の病苦に対する最良の防衛力を強化する手段となる。
中高年時代に運動を続けていた人は、脳卒中で倒れた場合でも、その機能回復がスポーツゼロ族に比べ、はるかに早いことも実証されている。
歩きが減量とか、体重維持に効果があることも、以前から実証されているところだ。
すなわち、歩くことは、脂肪を燃やすための非常に優れた運動なのである。成人病の大きな原因が肥満、つまり体に脂肪をためすぎてしまう点にあることは、一般によく知られていることだろう。成人病世代である中高年には、過激な運動は向かない。脂肪を燃やすための、できるだけ緩やかな運動が適しているのである。その運動の筆頭が歩くことなのだ。
やはり、私たちの体は頭と同様、上手に使うことが、その健康維持に大切。頭でも足でも使わないと、だんだん委縮する。機械化、自動化、省力化が進むにつれて、人間の体力は当然落ちていく。とりわけ下半身に力のない人は、概して感情や圧力を起こしやすく、ヒステリー的である。
なるべく下半身を鍛えるためにも、二本足で歩くという人間の自然な、根源的な行為を大切に心掛けたいもの。私たち人間は足で立っている動物だから、体が大切ならば足の運動は欠かさずやるべきなのである。
毎日の通勤、通学の際には一駅前で下車して歩く、買い物の時にはいつもより遠くの店へゆくなど、意識的に工夫をしたり、特別な運動プログラムを組んで、あなたも一日三十分以上、ないし一日一万歩を目指して努力してはいかがだろうか。
一番よい歩き方は、ブラブラ歩きではなく、姿勢をよくして大きく手を振って、サッサと大股(おおまた)に歩くことである。できるなら、舗装した歩道でなく、地面から大地の磁気を受け得るような、土のにおいのする道を歩くこと。
私たち人間の肉体はよくできたもので、外界から刺激や緊張などのストレスがかかると、これをはね返そうと働き、体を鍛える。トレーニングの原点は、ここにある。
加えるに、運動によって、脳の中に天然の鎮痛剤であるエンドルフィンという物質が分泌される。モルヒネの数百倍とされる効き目があり、不安の痛みを鈍らせ、ストレスの影響を緩和するといわれている。
しかしながら、ジョギングなどの強い運動をすると、攻撃性の強い酸素分子で、万病の元になる活性酸素が体内に発生するために、健康に有害な面もあるといわれる。歩くといった緩やかな運動の場合は、脳内ホルモンが出て活性酸素の害を中和してくれる。その意味でも、歩く運動は適している。
走るより軽い歩行でもストレスを軽減できるし、さらに、歩くことによって下半身の筋肉の運動がなされて、腸の蠕動(ぜんどう)運動も順調になる。便秘というものは、腸の蠕動運動が鈍るために起きる現象なのである。
このように、歩くという単純な運動でも、脳をも含めての内臓諸器官を調整し、強化することになるわけだ。このことは、とりもなおさず、一切の病苦に対する最良の防衛力を強化する手段となる。
中高年時代に運動を続けていた人は、脳卒中で倒れた場合でも、その機能回復がスポーツゼロ族に比べ、はるかに早いことも実証されている。
歩きが減量とか、体重維持に効果があることも、以前から実証されているところだ。
すなわち、歩くことは、脂肪を燃やすための非常に優れた運動なのである。成人病の大きな原因が肥満、つまり体に脂肪をためすぎてしまう点にあることは、一般によく知られていることだろう。成人病世代である中高年には、過激な運動は向かない。脂肪を燃やすための、できるだけ緩やかな運動が適しているのである。その運動の筆頭が歩くことなのだ。
やはり、私たちの体は頭と同様、上手に使うことが、その健康維持に大切。頭でも足でも使わないと、だんだん委縮する。機械化、自動化、省力化が進むにつれて、人間の体力は当然落ちていく。とりわけ下半身に力のない人は、概して感情や圧力を起こしやすく、ヒステリー的である。
なるべく下半身を鍛えるためにも、二本足で歩くという人間の自然な、根源的な行為を大切に心掛けたいもの。私たち人間は足で立っている動物だから、体が大切ならば足の運動は欠かさずやるべきなのである。
毎日の通勤、通学の際には一駅前で下車して歩く、買い物の時にはいつもより遠くの店へゆくなど、意識的に工夫をしたり、特別な運動プログラムを組んで、あなたも一日三十分以上、ないし一日一万歩を目指して努力してはいかがだろうか。
一番よい歩き方は、ブラブラ歩きではなく、姿勢をよくして大きく手を振って、サッサと大股(おおまた)に歩くことである。できるなら、舗装した歩道でなく、地面から大地の磁気を受け得るような、土のにおいのする道を歩くこと。
要するに、私たち人間の正しい生き方とは、肉体的に練り上げ、鍛え上げること。それが精神につながる道であり、精神の安定を得る道。誰もが、ハイキングや山登りを目的にした遠出や、日常の速足歩きなどで、無理をしない程度に運動することを、ぜひ心掛けていただきたいものである。
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