脳の障害で知能が持続的に低下
認知症とは、後天的な脳の器質的障害により、いったん正常に発達した知能が持続的に低下した状態。およそ6か月以上継続して、生活する上で支障が出ているケースを指します。
日本では以前、痴呆(ちほう)症と呼ばれていましたが、2004年に厚生労働省の用語検討会において、認知症への変更を求める報告がまとめられ、まず行政分野、高齢者介護分野において、痴呆症から認知症に置き換えられました。各医学会においても、2007年頃までにほぼ置き換えがなされています。
認知症の狭義の意味としては、知能が後天的に低下した状態のことを指しますが、医学的には知能のほかに、記憶力の障害、見当識(けんとうしき)の障害、人格障害を伴った症候群として定義されます。
日本における認知症の患者は、年々増加しています。1985年における65歳以上の認知症高齢者は約60万人でしたが、2003年の段階では約149万人を数え、2005年時点で約170万人存在するといわれています。85歳以上の高齢者では、4人に1人が認知症患者だと推定されているところ。このまま進めば、認知症の患者数は、団塊の世代が高齢者となる2015年には約250万人、2020年には300万人近くまで増加するといわれています。
認知症全体の発現を男女別にみますと、明らかな性差があり、国内外の医学的調査で、女性では男性の約1・5倍から2・5倍とされています。女性に圧倒的に多いわけですが、世界有数の長寿国である日本の場合、女性と男性の平均寿命に7歳ほどの開きがあり、認知症が多発する75歳以上になる前に亡くなる男性が多いのに対して、女性の平均寿命が85歳を超えているのも一因とみなされます。
認知症の中で最も多いのは、脳の神経細胞がゆっくりと死んでいく変性性認知症です。アルツハイマー型認知症、前頭・側頭型認知症などが、この変性性認知症に相当します。
続いて多いのが、脳梗塞(こうそく)、脳出血、脳動脈硬化などのために血管が詰まって、神経の細胞に栄養や酸素が行き渡らなくなるため、一部の神経細胞が死んだり、神経のネットワークが壊れてしまう脳血管性認知症です。
認知症の症状としては、発症者の全員にみられる中核症状と、発症者の一部にみられる周辺症状があります。
中核症状とは、脳の細胞が壊れることによって直接起こる症状で、記銘力・記憶力障害、見当識障害、計算力の障害の三つ。これらの中核症状のため、周囲で起こっている現実を正しく認識できなくなります。
周辺症状とは、本人がもともと持っている性格、環境、人間関係などさまざまな要因が絡み合って起こってくるもので、日常生活への適応を困難にする感情障害、思考力障害、行動異常、妄想のような各種の精神症状があります。
このほか、認知症ではその原因となる病気によって多少の違いはあるものの、さまざまな身体的な症状も出てきます。特に脳血管性認知症の一部では、早い時期から麻痺(まひ)などの身体症状を合併することがあります。アルツハイマー型認知症でも、進行すると歩行がつたなくなり、終末期まで進行すれば寝たきりになってしまう人も少なくありません。
認知症のさまざまな症状
認知症の中核症状は、物事を記憶し、考え、判断し、人と会話するといった日常生活に欠くことのできない能力である認知機能の障害であり、記銘力・記憶力障害、見当識障害、計算力の障害という三つの障害がない場合は、認知症とは診断されません。
一、記銘力・記憶力障害
記銘力とは物を覚える能力のこと、記憶力とは覚えた物をずっと保持しておく能力のことを意味しています。認知症では、この双方が著しく障害されます。
初期の症状として共通なものであり、家族や周囲の人が最初に気付く症状でもあります。電灯のつけっ放し、ガス栓の閉め忘れなどに始まり、進んでくると、食事を終えた直後に食事をしたことを忘れてしまって、再び要求したりするようになります。また、今話したことをすぐ忘れてしまうなど、日常生活や社会生活に重大な影響を与えることになります。これらの状態は、注意力散漫、自発性低下などによって、さらに増強されます。
認知症で特徴的なのは、最近の事柄に対する記憶の障害が顕著なことです。対照的に、比較的昔の事柄、つまり遠い昔に記憶したことは覚えています。
言葉も忘れますが、固有名詞、抽象名詞が特に忘れやすくなります。これは生理的な老化でも普通にみられるもので、健常人でも加齢とともに記銘力、記憶力は低下し、人の名前などの固有名詞が最初に忘れやすくなります。認知症の人の場合は、症状の進行とともに、自分の名前、年齢さえも忘れてしまいます。とりわけ、年齢のほうは忘れやすくなります。
意外によく覚えているのは、彼や彼女本人が生まれた場所。年齢のように毎年変わるものではなく、幼児から頭にたたき込まれており、先の遠い昔の記憶に相当するためと考えられます。
結局、正常な人と認知症の人の違いは、前者は経験した事柄を断片的に忘れることがあるだけなのに対して、後者は病状の進行につれて、経験したことのすべてを忘れてしまうのです。
二、見当識障害
見当識とは、時、所、人などについて見当が付いていることを意味します。だから、見当識障害は、今日は何日で、今どこにいる、目の前の相手は誰か、などがわからなくなるもの。
この障害は、認知症の初期の診断において、最も重要なチェックポイントとなっています。認知症のごく初期においては、記銘力、記憶力の軽度の低下を生理的、あるいは病的と明確に区別することは難しいのですが、生理的な老化の範囲では見当識障害はみられません。つまり、見当識障害の有無が、生理的な脳の老化と、病的な認知症を区別する、信頼できる症状なのです。
また、入院や寝たきり状態の場合はともかくとして、その他の場合、日時を知らないこと、自分のいる場所を知らないことは、社会生活に重大な支障を来すことからも、認知症の症状として特に重要視されます。
見当識障害が高度になれば、朝昼夕夜の区別もわからなくなります。場所についての見当識が障害されるために、入院患者では自分の部屋を忘れることがしばしば。徘徊(はいかい)癖のある例では、想像もできないほど遠方に出掛けて、帰ることができなくなり、交番などから問い合わせのあるケースもみられます。
人に対する見当識障害も、はっきりしてきます。家族、あるいは同居している人を認識できなくなると、高度の認知症と見なされます。
三、計算力障害
認知症の症状として、簡単な計算ができなくなりますが、足し算より引き算のほうが障害されやすくなります。計算力障害が高度になると、1+1もわからなくなります。
認知症の中核となっているもので、発症者すべてに共通に見られる症状に続いては、その周辺の症状について要約して説明します。
一、感情障害
認知症の初期では、感情が不安定になり、容易に興奮しやすくなります。うつ的になり、発語がなく、すべてに懐疑的なこともあります。天気がよいのに雨戸を閉めて日中寝たり、外出を極度に嫌ったり、風呂(ふろ)に入りたがらないなど、症状はさまざまです。
懐疑的なことから、被害妄想や嫉妬(しっと)妄想などが出現することがあり、特に「他人が悪口をいっている」、「財布をなくした」、「貯金通帳を盗まれた」などと訴える被害妄想が少なからずあります。
性格にも変化が現れ、発病前の性格がとりわけ明らかとなりやすくなります。一般に、自己中心的で、頑固で、我がままであり、行動その他がズボラ。
反面では、気が小さく、きちょうめんなところもあり、受診などの前日はよく眠れなかったり、朝早くからソワソワしたりするなどのように、態度、行動に平常と反対の面も認められます。認知症では、いろいろな面が鈍感と考えられがちですが、神経質、敏感なところもあるわけです。
細やかな感情が鈍くなっているにもかかわらず、一面では人をよく見ており、周りの見下げるような態度、ばかにした態度、冷たい対応、心ない発言などには極めて敏感です。例えば、家族がちょっと冷たい態度をとっただけで、すぐ興奮したり、怒ることもしばしば。
道徳的な面の感情障害も、病状の進むにつれて出現し、反社会的行動や、羞恥心(しゅうちしん)が薄れて性的な異常行動を示すこともあります。
二、思考力障害
中核症状の記憶力障害に加えて、系統的に物を考えることができなくなります。判断力も低下します。連想も不十分となり、思考の内容が貧弱で、質問に対して同じ答えを繰り返すことが多くなります。頑固で、自分の考えに固執するようになることもしばしば。一方、自分の周りの状態を正確に把握していないため、質問に対して思いも寄らない答えを繰り返すこともあります。
持久力の低下、注意力の散漫などもみられ、自分が病気であるという自覚が次第に失われてゆきます。
三、行動異常
認知症の初期は記銘力、記憶力障害が中心で、ガス栓の閉め忘れのような物忘れがほとんどで、まだ異常行動の範囲ではないのですが、無意味な、理解のできない行動というものが出現するので、周囲の人は注意しなければなりません。
タンスの物を全部出したり、ご飯にお汁などの副食物を入れてかき混ぜたり、便所でない場所に排便したり、おしめの便をこね回したり、無断で家や病室を抜け出して遠方で見付けられたり、必要でもない物を買いあさったり、毎日同じ料理だけを作ったりなど、行動の異常は実に多彩です。
さらに病状が進行すると、活動性は次第に鈍り、始終、独り言を繰り返したり、発語せず黙ったまま過ごすようになり、一日中、ボンヤリしているようになります。失禁も現れ出ます。
四、各種の精神症状
認知症高齢者には、中核となる認知機能の際立った低下のほかに、いろいろな精神症状も出現します。入院している高齢者では、夜中に眠らずウロウロ動き回ったり、騒ぐといった夜間せん妄、うつ状態などが多くみられます。在宅の高齢者でも、同じ夜間せん妄、うつ状態などが多く、人物の誤認、幻覚、妄想などの多いことも認められています。
脳血管性認知症とアルツハイマー型認知症
認知症全体の症状を説明してきましたが、詳しくいえば、同じ認知症の中でも、とりわけ多い脳血管性認知症とアルツハイマー型認知症とでは、その成り立ちの違いから症状も異なるところが認められています。
脳血管性認知症は、脳血管障害があれば、年齢には関係なく出現し得ます。一方、アルツハイマー型認知症は、加齢、老化と深い関係があり、通常は70歳以降に出現します。
また、脳血管性認知症は男性により多く、アルツハイマー型認知症は女性により多く発症します。この原因として、女性ホルモンの役割を指摘する専門家もいます。
男性には、女性におけるような、動脈硬化予防作用のある女性ホルモンが少ないため、50歳、60歳代で脳動脈硬化が相当進みます。このため、この年代で脳血管障害が起こりやすく、脳血管性認知症が多くなります。つまり、老境に入りかけた頃、脳の血管の弱い素質を持った人が脱落した形となる、とも考えられます。
しかし、70歳代、80歳代では、男性で脳動脈硬化の顕著な例は少なくなります。これは、いわば脳の血管の強い人が生き残ったため、と考えればよいでしょう。
次に、脳血管性認知症では、末期を除けば、すべての知的機能が一様に、顕著に低下するわけではありません。記銘力、記憶力障害がはっきりしていますが、計算力はある程度残っているとか、対応は全く正常であるという場合が少なくありません。
反対に、アルツハイマー型認知症では、大脳皮質という知能活動の中核が第一義的に侵されることから、すべての認知機能が一様に低下し、その程度も大きくなります。加えて、自分が病気であるという病識が早くからなくなり、多幸性のことが多くみられます。
もう一つ重要なことは、アルツハイマー型認知症では、人格の崩壊といって、全く人柄が変わってしまうことが多い点です。対して、脳血管性認知症では、人格の変化は少なく、「よいおじいさん」、「よいおばあさん」といった感じがあります。
発症と進行の状態については、脳血管性認知症は比較的急速に発症し、脳血管性障害をきっかけに、段階的に病状が進行していきます。逆に、アルツハイマー型認知症では、発症がいつかわからないほどゆっくりです。進み方も徐々であり、かつ絶えず進行性であるのが、特徴といってよいでしょう。
このように、認知症の中では、脳血管性認知症とアルツハイマー型認知症が多くみられますが、脳血管障害の因子と脳の老化による因子の両方を兼ね備えた型のものがあり、混合型認知症、あるいは脳血管障害を伴うアルツハイマー型認知症と呼ばれます。この型の認知症は、必ずしも重視されず、いずれかに入れる考えもあります。
調査報告によって多少のずれはあるものの、欧米人ではアルツハイマー型認知症が多数派であり、50パーセント以上を占めます。日本人では従来、脳血管性認知症のほうが多数派で、ほぼ50パーセント以上と欧米とは逆になっていましたが、最近は脳血管性認知症は40パーセント、アルツハイマー型認知症は45~50パーセントを占めるようになりました。両方を合併している混合型認知症(脳血管障害を伴うアルツハイマー型認知症)の例も、かなりあることがわかってきています。
認知症の検査と診断と治療
医師による認知症の診断では、知能検査や画像検査が行われます。画像検査では原因に応じて、脳委縮、脳内の病巣、脳腫瘍(しゅよう)、水頭症の所見が見付かることがあります。
診断基準はいろいろありますが、一般的には、日常生活に支障が出る程度の、記銘力・記憶力障害、見当識障害、計算力の障害という三つの中核症状が見られる時に、認知症と診断されます。周辺症状の有無は問われません。
知能が以前と比べて低下していることが必須で、生まれ付き脳の器質的障害があり、知能発達面での障害や運動の障害などがある場合は、知的障害に分類されます。
治療方法は、認知症を来している原因によって異なります。治療可能な認知症の場合は、原因となる疾患の治療が速やかに行われます。治療可能な認知症とは、身体疾患などが原因で起こる二次性認知症の一部で、正常圧水頭症、慢性硬膜下血腫(けっしゅ)・脳腫瘍による認知症などが該当します。
アルツハイマー型認知症などの変性性認知症や、脳血管障害が原因の血管性認知症などほとんどの認知症では、治療によって病態そのものの進行を改善することはできず、現段階ではさまざまな治療法により進行を抑えることしかできません。
近年、認知機能改善薬としてドネペジル(商品名:アリセプト)が開発され、アルツハイマー型認知症を中心として効果が期待されていますが、中核症状となっている狭い意味の認知機能低下、つまり記銘力・記憶力の際立った低下、見当識障害は、薬によって進行を遅らせることはできても、完全には治りません。
認知症の発症者は中核症状のみならず、不眠、自発性低下、意欲減退、不安、焦燥、うつ状態、発語減少、情緒障害、幻覚、妄想、異常行動などの周辺症状を呈すことがありますので、その際は適宜、睡眠薬、抗うつ薬、抗精神病薬、抗てんかん剤などの対症的な薬物療法が有効なこともあります。
結局、認知症の治療で主体となるのは、薬物療法によって進行をできるだけ抑制しながら、心理社会的療法を積極的に行うことで残された認知機能を維持し、認知症の人のQOL(生活の質)を低下させないケアが主体となります。この心理社会的療法では、認知症の人に対するアプローチと同時に、家族や介護者に対するアプローチも併行して行われます。
認知症を発症しても、薬物療法と心理社会的療法による早期治療によって、脳の代償機能と呼ばれるメカニズムが働くようにすることができれば、残された認知機能は維持され、社会生活機能を保つことは可能です。
脳にはもともと、ある部位の機能が失われても、他の障害されていない部位の神経細胞がその機能を補うように働く代償機能が備わっており、たとえ脳の病変があったとしても、代償機能が働くことで発症を抑えたり、症状の進行を抑制することが可能なのです。
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