∥下半身の出物が発する健康情報(1)∥
●腸の働きと選択力の妙について
人体の下半身からの出物として最初に取り上げるのは、腸からの大便という固形物、すなわちウンコである。
この大切な排泄物の出具合が悪くて、朝からやれ下痢だ、便秘だと、腹を抱えてうずくまったり、苦しんでいたのではいただけない。人間が健康を手に入れるには、やはり内臓の正常な働きが必要なわけである。
そこで、腸の仕組みについて、まず探ってみよう。
人間の体は、腸の上に位置する臍を中心にして、下半分が宇宙世界からくる他力と通じるところ、上半分が生きているという自力の働くところである。
その臍のある腹は、柔らかいもので、骨も何にもないようなものに思えるだろう。が、この腹を中心に存在する細胞の働きは、実に見事なものである。あらゆるものを感じ取り、想像し、判断をするという力が、腹の細胞の一つひとつに見事に備わっている。
目に見えないものがこの腹によって感じ取られると、その力が五官に送られ、五官の素晴らしい働きとなる。
同時に、腹というものは、「気」そのものを力として蓄えておく場所でもある。その中心はといえば腸である。腸は生理的な器官であるが、感覚意識、精神的能力もあるから、その本来の働きは二つの使命、機能を持っているといえるのである。
この腸は非常に吸収力の強いところであって、食べ物を吸収することが専門であるが、空意識から入ってくる「気」を蓄えて肉体の力とする中心である場合には、非常に大きな働きをするものである。
そういう人間の腹の働きは、驚くべき力を持っている。機能をなしている。例えば、内臓器官の胃や腸はもとより有能、有効のものである上、胃をとってしまっても腸を食道につないでおけば、やがて腸は胃の働きをするほど大変な力を持っている。
胃は胃液を分泌して消化をするのに対して、腸は消化と吸収を同時にするといってよいほど、最終的である。胃は食べ物を消化してもまだ形を残しているが、腸はその形の中から吸収する。後は残滓(ざんし)ばかりだが、吸収という力において、腸は素晴らしい働きを持っている。便に元の姿で出てきても、内容物は腸で吸収されているから、その力は強いものである。
まずい物を食べて吐くというのは、腸の力によって、胃が吐き出すのである。こうした微妙な、不思議な感覚と働きは、空意識から入ってくる「気」の働きである。
そして、腸の感覚の強さ、選択力の強さにも驚くべきものがある。目・耳・鼻・舌・皮膚の五官だけが感覚器官ではない。この腸の微妙な、不思議な働きは、胃にはできない。
腸の感覚というものは非常に微妙なものであり、機能もまた優れた力を持っている。また、生理作用、精神作用、意識作用といったものの選択力、識別力などに至る場合は、素晴らしい人間の機能、働きとなるのである。
私たちの気力はいったいどこから出るものかといえば、胃に食べ物のあるうちは、気力は出ない。胃が空になって腸に力が蓄えられる時に、腸から気力が出るのである。
●人間の「気」の中心は下腹にあり
腹と腰というものは、生まれてから死ぬまで肉体の底力となり魂となって、一生働き続けるものである。
すなわち、腹と腰の細胞というものが生命の基礎、根本となって、人の一生をコントロールする中心、基盤となるのである。年を取ればそこは円熟し、頑固性なるものがあれば、穏やかになるなどという調節ができる。
人間の精神的、意識的調整というようなものも腹がやり、腰がやる。そこに空意識器官(生殖機能)が存在するから、肉体全身の調節、調和が下腹でできるということになり、魂の存在するところとなるゆえんである。
空意識から入ってくる「気」は、腸で一応、止められる。下腹部、下半身の腹、腰という他力と無意識の力が上半身に作用する時、自力の力が働きというものになり、自力がさまざまに働き出すのである。
腸の吸収力、働きというものは若い時から十分に活達にさせ、働きを十分にさせておけば、一生涯を通じて気も若く、あらゆる問題に働く。
知るべきことは、人間の体の「気」の中心は臍下丹田、下腹部、つまり腰にあり、腸にあり、下腹にあるということである。
生命の元なる中心、中核は、腸であり、もう一つは宇宙の空意識器官という生殖器官である。腸を中心とする吸収力は、食べ物のような生理的なものや、あるいは精神的、意識的なものを蓄積したり確かめたりして、その力を生きるという人間の中心とする。空意識器官の生殖器官は、ここから生命が到来するという事実がある。
無意識の世界が上半身に上って意識のある世界に流通する時には、意識的なものは五官で見る。無意識的なものは、臍下丹田、下腹部で見る、行う、感ずるのである。
この肉体の下半身から自然にエネルギーが湧き上がってくるような気合の人は、疲れるなどということはない。倦怠を覚えるとか、飽きるとかいうようなこともない。当然、何らの障害を外部から受けることもなく、スムーズに人生を送ることができる。
こういう人間になれば、腸が活発に働くだけでなく胃も丈夫だから、頭脳も明敏になり、体全体がバランスよく、すべてが当たり前に働くような人になる。
続いて、生理学的に腸の仕組みを探っていこう。
最近の生理学の教えるところによると、人間の小腸という消化器官は、取り出せば、七~八メートルにもなるという、とんでもなく長い管状の臓器である。自分の腹に手を当ててみても信じられないほどだろうが、通常、体の中では、およそ三メートルほどの長さに縮んで収まっている。
なぜそんなに長いかといえば、人間が生きていくためには、胃で消化された食物から栄養やエネルギーを摂取、吸収しなければならないからである。
しかも、小腸の内側は、絨毛(じゅうもう)の表面をまた絨毛でおおうという、無数の絨毛で埋め尽くされた構造で、必死に表面積を稼いでいる。その表面積は、何とテニスコート二面分に相当するという。さらに、一本の絨毛は約五千個の栄養吸収細胞からできており、小腸全体で千五百億個と推定される。驚くべきは、人体の機能、働きの素晴らしさである。
こうした構造を持つ消化管である小腸は、胃から、かゆ状となって送り込まれた食物を、改めて消化したり、栄養を吸収し、大腸へ送り出す重要な役割を持つ。
詳しくいうと、胃のほうから十二指腸、空腸、回腸に、小腸は大きく分けられる。それぞれが消化酵素を多量に含んだ腸液を分泌し、あるいは膵臓(すいえき)からの膵液、胆嚢(たんのう)からの胆汁も一緒に合わせて、最終的には、かゆ状食物から栄養を取り入れていくのである。
●栄養を吸収する小腸、便を形作る大腸
かゆ状の食物が栄養のほとんどを吸収され、小腸を後にするのは、食後四~六時間といわれている。身ぐるみはがされた残滓、液状のカスとなって、大腸に到達する。
盲腸から始まる大腸は、時計回りに上行結腸、横行結腸、下行結腸、S状結腸、そして直腸に区別できる。
この大腸の大きな役割は、先の液状のカスから水分と電解質を吸収し、固形物、すなわちウンコを作ることである。
ウンコは、下行結腸からS状結腸にとどまる。その後、ある一定の量にウンコが達した場合や、胃に食物が入った刺激で起こる大きな蠕動(ぜんどう)運動があると、ウンコは直腸に送られる。この時の圧力を自律神経が察知して大脳に伝えると、便意を催すという仕組みだ。
この間、およそ二十四時間から七十二時間。口にした食物がようやく、腸の末端の肛門(こうもん)から出てくるのである。
このようにして、我々日本人は、一日に平均で百五十グラムから二百グラムほどのウンコを出すのである。一日当たり百五十グラムとして、八十年間生きれば、単純計算で五トン近くの排出となる。
では、出てきた我々人間のウンコは、なぜ一様に臭いのであろうか。実はみな、腸に住む細菌のせいである。
特別な環境で出生、飼育された無菌動物のウンコは、栄養を吸収された食べ物の残りカスだけだから、臭くない。一方、我々のするウンコは普通、三分の一から二分の一が腸内細菌ともいわれており、特有のにおいは腸内細菌の分泌物が原因なのである。言い換えれば、人間のウンコは細菌のウンコによって臭い、ともいえるのである。
ところで、人間は誰でも、一生に一度だけ臭くない通じをする。生まれて一番最初にするウンコが、それである。
胎内で、母親の免疫系に守られている胎児は、いわば無菌状態で、腸にも細菌がいない。そのため、赤ちゃんが胎内でためていて、生まれてすぐするウンコは、臭くないのである。しかし、生まれた翌日のウンコには、すでに大腸菌を始め、腸球菌や乳酸桿菌(かんきん)など、一グラム当たり一千億個の菌が見られるのである。
●便という体からの情報は役に立つ
先に、日本人の一日のウンコの量は平均で、百五十グラムから二百グラムと述べたが、アメリカ人はせいぜい百五十グラムである。
これは、日本人のほうが植物繊維を含む食べ物を多くとっているからなのだ。人間の腸は、植物繊維を分解する酵素を持っていない。だから、植物繊維はそのままカスとして出てくるのである。「便秘気味の人は野菜を食べよ」といわれるのは、繊維質が残ったほうが便がかさばって出やすくなるからなのだ。
よって、便秘も日本人よりアメリカ人のほうが多いのである。植物繊維を多くとっているアフリカ原住民には、一日に七百五十グラムもの便をする種族がいるとのこと。
比較ついでに、日本人とアメリカ人の一物はどちらが臭いかというと、ずばり答えはアメリカ人である。
一般の日本人の食事は、低蛋白、低脂肪、高炭水化物、高食塩、高繊維。欧米人はその逆で、高蛋白、高脂肪、低炭水化物、低繊維。ウンコのにおいで特に臭いインドールや硫化水素は、みな蛋白質のアミノ酸が細菌によって代謝されてできるのである。また、植物繊維には、腸内のビフィズス菌などの善玉菌を増やし、同時に悪玉菌が繁殖する前に排泄をうながすという働きも期待できる。加えて、ウンコの量を増すということは、薄めるということでもあるから、蛋白を多く摂取するアメリカ人のほうが一物が濃い。すなわち臭いといえるだろう。
しかし、最近は日本人の食生活も急速に欧米化しているから、排泄物もどんどん臭くなっているはずである。
もう一つ比較すると、動物はみんな排泄行為をするのに、お尻(しり)をふくのは人間だけである。が、動物も人間も、消化器官の仕組みはたいして変わらない。
コロコロとした丸いウンコができるウサギは、腸が長いために、水分を絞りとってしまうのである。我々人間も、便秘をすると固くてコロコロした一物が出るのは、徹底的に大腸で水分を絞りとられた結果のようである。
さて、体内で不要になって排泄された大便も、実は、体外に出た後も役に立つ存在なのである。今、世の中はリサイクル・ブームであるが、ウンコも負けてはいない。自然農法やウンコを飼料にした豚や牛の飼育が見直されているし、リンやビタミンB12を大量に含む資源としても注目されている。
リサイクルの極端な例は、先のウサギのコプロファジー(食糞症)である。ウサギは一日一回、普通の便とは違うコプロファジー用の便をするが、それを食べられないようにしてしまうと、衰弱して死んでしまう。ウサギは草や木の葉を一度体内のバクテリアで発酵させ、出てきたウンコを食べることで、不可欠な蛋白質やビタミンを補っているようだ。
人間の場合はそういう極端なリサイクルは無理にしても、体からの黄金の出物は健康の指標として役に立つのである。
ウンコはいわば食べ物の残滓であり、カスであるが、二十四~七十二時間にわたる自分の体の情報、とりわけ胃腸のメカニズムがはっきりと現れる。
体からのメッセージの解読法を心得ておくのは、誰にとっても決して無駄にはならないはずである。
基本となる正常便の量は、一日に百~二百五十グラム。形は太めのバナナ状で、色は黄褐色が理想的だ。水洗便所の水に浮けば、もういうことはない。一日にちょっと茶色いバナナ二、三本も出ていれば、内臓はたいそう健康である証拠。
平均百五十~二百グラムといわれる便の組成は、約七十五パーセントが水分、残り二十五パーセントが固形成分であり、意外なことに便の大部分は水分なのである。
∥下半身の出物が発する健康情報(2)∥
●厄介な下痢が起こるメカニズム
健康の証(あかし)の正常便に対して、誰もが経験したことがある便のトラブルは、便秘と下痢であろう。
二つの厄介な症状は、大腸の機能が正常に働かなくなった時に起こる。食べ物の栄養の約九割を吸収してしまう小腸に、トラブルはほとんど見当たらないといわれ、問題が生じるのは残りカスをウンコにして排泄する大腸なのである。
まず、いわゆる下痢の原因は、大腸が水と酸・アルカリ・塩類の電解質を正しく吸収できないことによる。正常な便は七十五パーセント程度の水分を含んでいるが、この割合がさらに高くなると泥状になったり、液状になったりするのである。水分を大量に含んだままでは、便は固まらないという単純な理屈だ。
しかしながら、下痢に至る過程は、主に二つが挙げられる。
一つは、ストレスなどが原因で、腸の蠕動運動が激しくなり、水分を吸収し切れないまま内容物が直腸に向かってしまうもの。試験の前になると決まって、トイレにゆきたくなったなどという経験がある人も、多いことだろう。
二つ目は、膵臓疾患などで、腸粘膜からの水分吸収が妨げられた時に起こるもの。二日酔いの下痢もこれに当たり、アルコールの作用によって、膵液の分泌が後退し、脂肪が分解されずに大腸へ送られるために、水分の吸収が妨げられるのである。
牛乳を飲むと下痢をしてしまう人も、多いだろう。これは乳糖不耐症と呼ばれ、日本人では五人に一人の割合で存在する。牛乳に含まれる乳糖は、小腸で分泌されるラクターゼという消化酵素によって分解され、吸収される。乳糖不耐症の人は、このラクターゼが少ないため、乳糖は大腸で細菌によって分解される。この時に作られた乳酸や炭酸ガスが、腸を刺激して、腹痛や下痢を引き起こしてしまう。
ともあれ、アルコールや牛乳によるものはじきに治ってしまうが、下痢をともなった腹痛が起こったら食中毒、左下腹部が痛み、頻繁に下痢をする場合は急性大腸炎の疑いがあるので、注意をうながしておきたい。専門医の診断を仰ぐのが賢明である。
また、激しい下痢などのため脱水症になったら、常識にこだわらず大いに水を飲むことを勧めたい。体の水分が尿になって排出されるのは健康な生理的現象であるが、この下痢をしたり、吐いたりというのは、脱水作用といって非生理的なものであるといわれる。ことに子供の体には水分の予備が少ないから、十回ぐらい下痢をすると脱水症状を起こしてしまうことが多い。下痢の時には、余計に水を飲ませるべきである。
●便秘を極度に気にする必要はない
一方の便秘の原因を探ろう。例えば、消化のいいものばかりを食べて、繊維が足りない場合、材料不足のためになかなか便にならない。排泄まで時間がかかるのである。それでも、腸は水分をとれるだけとろうと律義に働く。結局、水分のないカチカチウンコになってしまうのである。
トイレにゆくのを我慢して、便意を無視し続けることも原因。おおげさにいうと、しまいには便意の感覚がマヒする。せっかくウンコの元が直腸まで到達しても、便意が起こらなければ、ウンコはそのまま滞ってしまうわけである。
この便秘には、個人差がある。仮に二日、三日出なくても、便が硬くなく、不快感がなければ正常といえる。私の場合も、昔から三、四日に一回の通じを習慣にしてきたが、全く不都合を感じないし、ずっと内臓の健全と体の健康を維持し続けている。
河野十全氏が主宰していた日本百歳会が、平成五年に新百歳人になった四百六十五人を対象に実施したアンケート調査で、便通についての有効回答を見ると、「毎日」が百八十六人、「一日置き」が七十一人、「二、三日に一回」が二十七人。「便秘がち」の人も九十八人いた。
高齢になるにつれて、食事の量も運動の量も減り、従って排便の回数も少なくなるのは当然としても、若い頃からずいぶん間遠な百歳人もいた。一般に、排便は毎日、一定の時間にあったほうがいいようにいわれるが、それは望ましい形であって、必ずしもそうでなくてもいいようである。
女性の中には、一週間くらいウンコが出なくても平気な人さえいる。それでも本人が苦痛でないならば、便秘とはいえない。少ししか食べなければ、内容物は少ないわけだから、なかなか出ないということもあるのだ。
極端な例を挙げれば、宇宙食のような無駄を省いた食べ物を食べると、便の量は二分の一から四分の一に減るという。
俗に、便秘を長く続けると、糞便が腐敗して毒素が吸収されるというようなことがいわれるが、必ずしもそうではないようである。
むしろ、便秘をすると体に悪いとか、おなかに汚いものがたまっているという気持ちそのものが、精神に悪影響を与え、さらに便秘が続くということもある。
皮膚などは精神の影響を大きく受けるから、便秘はいけない、便秘で毒素が体に回ると肌が汚くなるなどと気にすること自体が、肌を悪くしていて、不健康でザラザラした皮膚の感じを与えるようにも思われる。
事実、誰にとっても、快便というのは気持ちのよいものであるし、体の汚いものが一気に出ていったような気分がする。しかし、便秘気味でも、極度に気にするのはかえって体を不健康にしたり、社会生活、対人関係に悪い影響を与え、いろいろなことがうまくゆかない原因になったりすることは、よく覚えていただきたい。
●便の色と形で内臓の機能障害を知る
世の中で、こういった便秘の悩みを持つ人は、男性より女性に多いようである。女性は生殖のために子宮と卵巣という器官を抱えているが、けっこう重さがある上に、生理時には多少膨張したりするので、隣り合った腸の蠕動運動を圧迫して便秘につながるのである。
男性の精子を作るための生殖器官は、性器周辺にコンパクトにまとまっているのに対して、女性の生殖器官は形も大きく、メカニズムも複雑になっている。従って、腸に影響があるのも致し方ないことかもしれない。生理的には、ホルモンバランスも影響してくることなのである。
ただ、医師たちは女性たちの便秘に対して、心理的な理由もあると指摘している。特に、働く女性に多い「独特な羞恥(しゅうち)心」だというのだ。朝、ろくに朝食もとらずに家を出る。朝食をとったとしても、トイレの時間をゆっくりと確保できない。実際、何よりも化粧を優先させる女性が多いのである。
仕事場では、便意を催しても、会社のトイレでは嫌なのである。男性から見たら不可解なことかもしれないが、「ウンチしている」というのは同性にも悟られたくないのだという。我慢していると、そのうち便意が消える。そんなことを繰り返しているうちに、習慣性の便秘になることも少なくないというわけだ。
習慣性の便秘はともかくとして、一般の人の便秘の主要原因は、結局、水分の吸収異常であった。このトラブルを防ぎ、大腸の機能を正しく保つには、食物繊維と乳酸菌が不可欠である。
食事で野菜や海草を多くとるように心掛け、広く出回っているヤクルト菌、ビフィズス菌などの乳酸菌を含む飲料やヨーグルトも利用したらよいだろう。乳酸菌は乳酸や酢酸を作り出し、腸内を酸性に保つ。この酸性の刺激が腸の蠕動運動を盛んにし、感染予防にも一役買う。
大腸の調子が整えば、立派な便が規則正しく出る。踏ん張れる。快調な毎日を送れるのである。
さて、下痢や便秘のほかにも、自分の体からの黄金の出物は、その色や形で胃腸のメカニズムの異常を知らせてくれる。自分の便を見れば、病気を発見できる場合もあるのだ。
ふだんの正常便と違う白っぽい便が出たら、肝臓や胆嚢などの異常によって、胆汁が腸に送られなくなったことを意味する。要するに無着色のウンコだ。
次に、脂肪分をとりすぎれば、すっぱいにおいのベタベタした便になるし、白いブツブツがあり、しかもプカプカ浮くウンコが出たら、脂肪便である。これは、膵臓から分泌され脂肪を分解する膵液の不足によるもので、特に高カロリー食を好む美食家は用心が必要。
ほかに、肉眼で見る便の色で注意したいのが、血の混ざった便。これには二種類あって、一つは真っ赤な血便。これは肛門に近いところの出血によるもので、粘液便なら直腸ガン、それ以外なら痔(じ)の疑いがある。
もう一つは、同じ出血でも黒い便が出る場合。こちらは胃や小腸、大腸が出血し、それが腸管を通過するうちに酸化して黒色になるというパターンである。その他、黒い便は、肉食を好む人にも多いという。
形で注意したいのは、大腸ガンで腸狭窄(きょうさく)を起こせば、便が細くなること。
いきなり病院に担ぎ込まれる前に、毎日自分の目で、便からのメッセージを読み取る能力を養っておくのが、内臓へのいたわりというものである。
∥下半身の出物が発する健康情報(3)∥
●放屁の効用で健康長寿が可能
大便と同じ肛門からの出物に、オナラ、いわゆる放屁(ほうひ)がある。ことわざに「屁(へ)ひとつは薬千服に向こう」というが、オナラは健康に効果があるという意味であり、私がいう全身呼吸を行えば面白いように出るものである。
そもそも、屁と長息とは相関関係にある。大きな深い全身呼吸をすれば、誰でも、体内の細胞や血液中の悪ガスが放屁となるのは、生理の原則である。私たち人間の体は、それほど見事にいらないものは捨て去る力を持っている。
「百日の説法、屁一つ」などといって軽蔑し、「オナラをしては失礼だ」などという常識が災いして、意識をもってこれを止めてばかりいると、放屁という肉体本来の自然作用の恩恵にあずかれなくなる。
現代人のように食事をとりすぎると、体内に不消化物が残って、不完全燃焼のために栄養にもならず、かえって濃厚なガスを発生するのが道理。体内にたまった有毒ガスを放出するオナラの効用は、もっと大きく認められてよい。
日本人は屁を隠すが、外国人は生理現象として割り切り、人前でも平気でやりまくるともいう。屁は下品ではない。
糞尿屁は自然作用で、正常人には当然なのである。論より証拠、真の長命者に聞くがよい。屁をよく出さないと健康長寿は保証しがたい。老人で屁をたくさんする人は、必ず長命である。
アクビも居眠りもみな、自然作用の現れである。体の調子が兆候に現れたら注意が肝要。居眠りは睡眠不足、アクビは無理か倦怠かの原因、理由を知る機会になる。放屁にも、正常体からのと異常体からのものがあり、数と音と臭気とで調子とその内容がわかる。
ある研究によれば、健康な人が一日にオナラをする量は二百~三千七百CC、回数にして八~二十回だというから、誰もが知らず知らずのうちに、オナラをしていることもありそうである。
オナラの正体は、胃腸内にあるガス。正常な胃腸には、空腹時で百~百五十CCのガスが常に存在している。ガスが増えてくると、一部は腸管の毛細血管から吸収されるが、残りはオナラやゲップとして、体外に排出される。
その腸内ガスは、どうして発生するのか。原因は二つで、一つは口からの空気の飲み込み、もう一つは小腸で消化されなかった食物が大腸で発酵、腐敗するためである。
腸内ガスの主な成分は、窒素、水素、炭酸ガス、メタン、酸素などであり、そのうち最も多いのは窒素で、口から空気を飲み込んでしまうために増える。一般的には、腸内ガスの二十三~八十パーセントが、口から飲み込んで下まで通ってきてしまった窒素、すなわち空気なのである。
食事を急いで食べたり、丸飲みにしたりすると、一緒に空気も飲み込んでしまいがち。炭酸飲料のかぶ飲みも同様だ。また、精神的な影響も強く、人によってはショックや興奮、怒りを覚えた時に、空気を飲み込んでしまう。
窒素に次いでは、炭酸ガスが五~二十九パーセントといったあたりである。面白いのは、メタンと水素が含まれているから、オナラが燃えること。腸の手術をしようとして電気メスを使ったら、その火花がオナラに引火して爆発、手術する前に腸の一部をすっ飛ばした例が、いくつも報告されている。ただし、自分のオナラが燃える人は、三人に一人くらいしかいない。遺伝と生活環境の関係で、メタンを作らない家系、逆に大量に作る家系と、さまざまなためである。
●オナラの臭い時は体調に留意せよ
さて、オナラの元になる食物は繊維質だ。小腸には繊維質を消化する酵素がないため、繊維質は大腸で腸内細菌によって発酵し、分解される。その際に、炭酸ガス、メタン、水素、酸素が発生する。
といっても、繊維質によるガスと空気の飲み込みによる窒素は無臭で、このままならば、オナラは臭くも何ともない。臭くなるのは、ガス成分の一パーセントにもならないアンモニアや硫化水素、インドール、スカトール、揮発性アミン、揮発性脂肪酸などのガスが含まれている場合である。これら悪臭ガスは、蛋白質を分解する嫌気性菌や、大腸菌などの腐敗菌によって生み出されている。
つまり、オナラというものは、人間だけでは作り出せないわけで、腸内細菌の仕業があずかっているのである。
人間の腸内、特に大腸から直腸にかけてには、約百種類、百兆個の細菌が住み、常に増殖しているのであり、糞便の約三分の一から二分の一は細菌の固まりともいわれる。
腸内細菌が住みついているメリットは、飼い主である人間にはほとんどない。せっかく消化液によって吸収しやすくした糖質、脂肪、蛋白質などを、勝手に分解してしまう。その過程では有害物質もできるが、ガスも生まれる。このガス成分の集まりがオナラというわけなのだ。だから、彼らがいなければ、オナラは出ない。
何せ百種類もの菌が寄ってたかってガスを作るのだから、人間によって成分も違えば、においも異なる。また、同じ人間であっても、食べ物によって変化するなどということは、十分に経験済みのことであろう。
とりわけ、胃腸の弱い人、あるいは体調を崩している人は、オナラが臭くなりやすい。蛋白質が小腸で消化されず、そのまま大腸に回り、そこで分解される際に腐敗し、アンモニアや硫化水素など臭い成分が発生するからである。
オナラを減らすには、食事をよく噛んで、ゆっくりと食べ、一気に飲み込んだり、がぶ飲みは避けること。精神的な安定と肉体的な健康を保つために、規則正しい睡眠と休息をとることが大切である。
しかしながら、オナラが出るのは健康な証拠として、むしろ歓迎すべきである。臭いオナラが出た場合だけは、消化不良を起こしている可能性が強いので、注意すること。
スカンクまがいのすかしっぺをする人は、ガンになりやすい。体調不良か、食べすぎか、宿便か、運動不足か、いずれにしても血液がひどく濁り、酸性の強い証拠には違いない。
放屁をどんどんやればガンにかからないし、自然作用に任せていれば、見事に面白いほどガスはできる。それだけ血液が浄化され、大腸でガス化されているということである。
このガスをたくさん発生させて、この際オナラにして放出してしまわないと、何百CCものガスをしまっておいたのではたまらない。調子が悪くなってしまうから、このガスを出たとこ勝負で外部に出してしまわねばならない。
●自由自在に出すには全身呼吸に限る
人前をはばかるエチケットの心配なら、トイレで思う存分やればいい。屁こそ健康の基。屁とも思わず、ひり出すがよい。ガンにかかりたくないのなら、うんと放屁することが最善。
ちなみに、もしオナラを我慢したらどこへゆくだろうか。腸から血液へゆき、尿中に出る。窒素や水素は肺や皮膚から出る。当然、においはない。いくら我慢しても、幽門括約筋というガードのため、胃に出てしまうことはない。
ともあれ、屁をこらえると腹が痛くなるのが常である。屁はとにかく、悪ガス、メタンガスのようなものに変わりはない。こんなスモッグを体内に温存していては体によくないことは、どんな素人にも否定できまい。
昔、浜口雄幸首相が東京駅で右翼の凶弾に倒れ、手術の結果、ガス一発が出ぬために命を終わった話は有名である。まさに、百日の療養より屁一つが実際に勝敗を決する例であった。
人間の腸の運動は、手術などで、周りの臓器が安静を必要とする時、あまり激しくないほうがよいわけである。腸は多くの臓器とさまざまな促進、抑制の反射を持っているが、例えば膀胱や腹膜との間にも、このような反射がある。
虫垂炎などで腸を手術した時は、腸の運動は起こらなくなる。ところが、手術がうまくいって、感染も腹膜炎もないことがわかると、腹膜と結腸を結ぶ抑制反射などがなくなってきて、腸は徐々に運動を始める。
すると、大腸が動き出し、これとともに、オナラが出たりする。腸の手術の時、オナラが出たといって皆が喜ぶのは、順調に回復している証拠だからである。
日常、この放屁を自由自在にするためには、全身呼吸をするに限る。精神が落ち着かない時に、全身呼吸をして放屁をすれば、必ず心身ともにしゃんとして、商談が成功するという体験者もいるくらい、空気の呼吸とガスの放出のご利益は多大である。
ヨガの秘伝のうちで、空腹を直すのに空気を胃に吸い込む方法がある。空気の中には「気」、プラナがある。呼吸を肺で行わず大腸で行え。口で吸って屁に出せ。古来、真人はかかとで息をするといったのは、こういうことである。
人間の生理は、新陳代謝の連続である。呼吸の役割は、新鮮な酸素および宇宙の「気」を自由自在に受け入れて、それと引き替えに老廃物を確実に放出することにある。呼吸作用は同時に、血液の浄化作用をもつかさどる。
私は、上からの呼吸と、下への排気ガスをもっと奨励したい。全身呼吸という、上下両半身を一貫、連係して、全身全霊をもって徹底的に行う呼吸法では、排便、排ガスも見事に調整され、肉体内部は完全に生理作用化されて、健全体となる。
そこで、毎日何回でも、体の力を抜いて、大きく息を吐き、伸び、アクビをして、自然作用、自然機能の回復をはかろう。体の圧力をゼロにすれば、面白いほど放屁ができ、一日が二日に使えるだろう。
また、もっと水をたくさん飲めば、ガスは自然に分解されて、放屁一発とともに体の圧力が雲散霧消することも、付け加えておきたい。
屁は生理的現象である。本来、屁には何の悪気もないばかりか、人間の生理の違和を浄化して下された神の恩顧である。
屁は恥ずかしいものではない。神が身代わりとなって、人間生理のスモッグをすり替えて下されたものである。
屁よ、よくぞ、お出まし下された。屁よありがとう。もう一発、屁よお出まし下さい。屁よありがとう、だ。
体の調子がよいと、思わず冗談も出る。ユーモアも出る。顔もほころび、心が温かく、愛も情も豊かになるので、自然と人格も高まってくる。
∥下半身の出物が発する健康情報(4)∥
●血液中の老廃物や水分が尿に変わる
人間が排泄することは、上から入れれば下へ出るのが天の理、糞尿屁という出物は生理自然にほかならない。健康長寿のためには、便と屁に続く小便、いわゆるオシッコの快調にも、常日頃から留意したいものである。
自分の両手を握ってほしい。目の前の片方のこぶしが、ほぼ片方の腎臓(じんぞう)のサイズである。形はソラマメ状で、一つの腎臓の重さはおよそ百二十グラム。この小さな双子の臓器が、せっせと尿を作り出しているのである。
腎臓には、体の中で最も太い大動脈から、絶えず血液が流れ込んでいる。その血液量は一日に約一・五トンと、すごい量であるが、糸球体と呼ばれる毛細血管の網でろ過され、血中の老廃物や水分が尿に姿を変えるのである。
このオシッコを作る器官であり、人体の浄水器である腎臓が、血液の中から老廃物と水分をこし出したものを、原尿という。
もちろん、いきなりこれが排出される尿になるわけではない。尿細管で何度も何度も吸収され、本当に役に立たないものだけが、尿として尿管に送られるのである。
原尿が再吸収され、尿として排泄される量は、原尿の約百分の一、一日に一・五リットルほどで、牛乳パック一・五本と、かなりの量だ。これを一日五、六回に分けて排出する。だから、一回のオシッコの量は、二百五十~三百ミリリットルほどとなる。
詳しくいうと、尿として排泄される一日の量は、男女で少し違いがある。成人男性では一・五~一・八リットル、女性では一・四~一・六リットルとされるが、〇・五~二リットル程度の枠内なら正常といえる。
こうした人間の尿の量は、脳下垂体から分泌される抗利尿ホルモンによって調節されている。抗利尿ホルモンの分泌が増えると、尿細管からの水分の再吸収が高まり、尿の量が減る。逆に、分泌が減った場合は、尿量が増える。誰もが夏場に汗をかくと、尿の量が減って色が濃くなるのは、ホルモンの分泌が増加して、固形成分の比率が高まるためである。
ところで、腎臓でおよそ五秒ごとに、タラリタラリとこし出された尿は、尿管を通じて膀胱(ぼうこう)に送られる。尿管は直径四~七ミリ、長さ二十八~三十センチ。筋層で圧力をかけられているため、粘膜がしわしわになっている。
つまり、尿の流れる穴は真円ではなく、きんちゃくみたいで、尿の通るすき間は細く、薄いから、内臓中にできた結石が引っ掛かりやすい。とはいえど、尿の量が増えれば、その勢いできんちゃくは内側から広げられ、結石は流れやすくなる。よく「結石はビールを飲んで流してしまえ」というのは、真実なのである。
この尿管の先が膀胱である。オシッコを一定期間ためておく貯水池たる膀胱は、尿のたまっていない時の形は三角形で、立体的にいうと逆さまの杯の形をした筋肉でできた袋であるが、まさにゴムの袋に例えられる。ゴムやポリエチレンがなかった時代には、氷のうといえば、薄くて丈夫な牛の膀胱を使ったそうである。人間のも同じで、空っぽの状態では壁の厚さが十五ミリだけれど、ぱんぱんにため込むと、その厚さ三ミリになるという素晴らしい膨張率を有しているから、最大容量四百五十~五百ミリリットルと、牛乳パック半分のけっこう重たいオシッコが入ることになる。
●健康な尿が出てくる人体メカニズム
実際には、こんなにたまることはめったにない。尿が二百五十~三百ミリリットルくらいになると、尿意を感じて排尿が始まるからだ。
一説によると、膀胱の最大容量の五分の四までは尿意は催さず、最後の五分の一がたまっていく時に感じるもので、最後の五分の一がたまる時間は、三十分から一時間ぐらいという短時間なのだという。
尿が出る仕組みを説明すると、膀胱の内圧が高まって、膀胱壁の受容器を刺激し、受容器は脳に信号を送るから、脳は尿意を発動する。
この尿意を感じた脳から指令があると、同じ脳にある抑制中枢を刺激して、抑制を取り外しにかかる。ふだん尿道口が閉まって、尿が飛び出さないようにできているのは、この抑制中枢があるお陰である。
で、この抑制がとれると、膀胱の出口、つまり尿道とのつながり部分にある、伸縮自在の尿道括約筋などがゆるむ。次いで、抑制中枢の近くにある排尿中枢が奮い起こされ、その刺激で膀胱それ自身の筋肉収縮が始まり、そこで尿が尿道という通路から外に飛び出す、という二段階システムになっているわけだ。
膀胱から飛び出してゆく一回当たり、二百五十~三百ミリリットルという量は、五、六回繰り返せば一日分のオシッコを排出できるという、ためるによし、出すによしのちょうどいい量なのである。
実は、尿意にこたえて括約筋をゆるめ、膀胱を収縮させる排尿システムは、膀胱が満タンにならなくとも働いてしまう。人間の脳というのは心理的な変化に左右されやすいところだから、何かで興奮したり、緊張したりした場合にも、抑制中枢がマヒするか、排尿中枢が強く刺激されすぎる。そのため、膀胱には尿が少ししかたまっていないのに、試験前などになると尿意を催してトイレにゆきたくなったり、驚いて思わず漏らしてしまうということにもなるわけだ。
また、てんかんや一時的なショックなどで、意識を喪失した場合も、抑制中枢がマヒして同様の尿漏れが起こる。
これに対して、ビールやコーヒーなどを飲むと尿が近くなるというのは、水やカフェインが腎臓を刺激して利尿作用を起こすためで、先の場合とはメカニズムが違う。
とにかく、脳の抑制中枢というのは、特に人間で発達した部位であり、下等動物になるに従って働きが弱くなる。動物では、犬や猫などのペットで発達している。場所的にも、性欲、物欲を抑える部位の近くにあって、かなり高度な機能であることがわかる。
●排尿にまつわるトラブルは女性に多い
そして、この抑制中枢は、感情の影響を受けやすいところでもある。一般的に、男性よりも女性のほうが感情に敏感だといわれているように、感情が激して抑制中枢がマヒし、その結果尿失禁という不如意を起こすことは、女性に多いということになる。
この点、腹圧性尿失禁で病院を訪れる女性患者も、最近は増えているという。腹圧、つまりセキやクシャミをした時、笑った時などに、おなかに圧力がかかって、膀胱が圧迫され、尿が漏れてしまう病気である。漏れる尿の量はさまざま。
普通、尿道にもオシッコの漏れを止める筋肉があって、外尿道括約筋という。これは男性で発達し、排尿を中断することもできるが、女性にはないので、その代用を肛門括約筋や骨盤底筋群がしている。加えて、男性の尿道が十六~二十センチで、屈曲しているのに対して、女性の尿道は四~五センチと短く、ストレートという構造的な面から、元来女性のほうが漏れやすい形態になっているのである。
そこへ加齢、出産が加わると、先の代用筋にゆるみが出て、膀胱と尿道の位置関係に狂いが生じてくる。平たくいえば、尿道がおなかのほうへ持ち上がっていたのが、年がかさみ、子供を産むうちに次第に下がっていき、ついには真っすぐ下方に垂れ下がってしまうのである。こうして一直線に流れ落ちてしまう尿失禁を止めるには、相当に強力な括約筋が必要というわけだ。
また、失禁を呈するようになったと訴えるのは、肥満女性に目立つ。肥満の人というのは食っちゃ寝タイプが多いので、下腹部には脂肪がたまるばかりで、筋肉が発達しなくなり、尿道を締める力が弱まるからである。
従って、治療はこれを強制してやればよいわけで、尿道を腹壁のほうへ持ち上げる手術は簡単、確実で、効果も抜群だという。
それにしても、どうして男性よりも女性のほうが、オシッコが漏れやすく、途中で止められないか、人類学的に推理してみよう。
元来、男には攻撃本能があり、狩猟に出掛けたり、敵からの攻撃も防がなければならない。とすると、排尿を長時間我慢するとか、排尿しても敵が現れるとすぐ中断して、攻撃体勢に素早く移れるということは、自己防衛につながる。だから、長い年月の間に、人類の男は防衛的見地から、こうした機能を獲得していったのではないだろうか。対して、女は攻撃の必要性もなかったので、こんなものを発達させなくてもよかったのではないだろうか。
しかしながら、しばらく前から、アメリカのキャリアウーマンたちの間に、インフリークェント・ボイダーと称する女性が激増して問題になっている。たまにしかトイレにゆかないものだから、膀胱炎を患う人たちである。彼女たちの膀胱はたいてい伸び切って、倍ぐらいにふくれ上がっているそうだ。以前はバスガイドやスチュワーデス、タクシー運転手などの職業病として知られていたものだが、それがどんどん広がったわけである。
●正常人の出立ての尿はにおわない
さて、話を進めてきた尿は一般に、「臭い、汚い、不潔」などと嫌われているものではあるが、故事をひもといてみると、案外に愛好されてきていることがわかる。
中国では、尿で顔や手足を洗った古代部族がいたと、「三国志」に書かれている。秦の始皇帝が若返りのために、処女のオシッコの風呂(ふろ)に入っていたという逸話も、まことしやかに伝わっている。
インドでは、古くから自分のオシッコを飲む民間治療法があったという。この尿療法の教えは、ヒンズー教の教本に百七項目にわたって記されており、現代でもヨガの聖者は自分のオシッコを飲むといわれている。
日本でも、沖縄には古くから、自分のオシッコを飲む尿療法があったという。
尿という小水はその昔、健康飲料として飲まれたこともあったし、化粧水であったこともあるという不思議な液体なのである。現代社会においても、尿健康療法を実践する人たちがおり、体の故障個所の痛みがとれるなどの効用があるという。
しかし、現代医学の最先端をいく科学者たちは、尿は飲めるとしながらも、一様にその積極的効能は認めない。いわく、確かに微量ホルモンは含まれているが、飲むと腸でアミノ酸に分解されてしまって、意味がない。あまりにも微量すぎて、有効量を得るためには、何十リットルも飲まなければいけない。生体の自然の摂理に反する。
この人間の小水を現代医学で説明するなら、先に述べた通り血液中の老廃物となる。私たち人間は飲食物を摂取するが、その必要なものを化学変化させて肉体にとり入れ、血液に乗せて全身に運ぶ。そして、不必要になってきたものは、腎臓でろ過して排泄する。尿は腎臓でできた老廃物、というわけであった。
ちなみに、人間の肉体の中でエネルギーになる物質には、糖質と脂質、蛋白質の三つがあるが、これらの燃えカスは捨てなくてはいけない。糖質と脂質が燃えると、主として水と炭酸ガスになり、炭酸ガスは息を吐くたびに肺から外に出ていく。蛋白質の燃えカスは、尿素、クレアチン、尿酸などになって血液中に溶け、腎臓でろ過されて排泄される。これが尿の主な成分というわけである。
そのほかに、尿にはナトリウムやカリウムなどの電解質も含まれている。人間の体液の組成は海水と同じで、この組成の濃度を一定にする役目をしているのも腎臓なのであり、体内に余分な電解質があれば排出するし、足らなくなれば水分だけを出すなどして調節しているためである。
結局、ここに挙げた以外の成分が最終的な尿に含まれている場合は、体に何らかの異常が認められるわけだ。
ともかく、尿が血液の老廃物、体液の不要品といっても、健康な人から出たものなら、不潔きわまりないというわけではない。
見方によっては、細菌に感染していない正常な人の尿は、血液よりきれいといえるかもしれない。腎臓で繰り返し、ろ過され、排出されてくる液体であるからだ。
心理的な嫌悪感はつきまとうにしろ、ジャングルで遭難したとか、海で漂流したとかして、きれいな飲料水ない場合は、海水や汚水よりオシッコのほうが絶対に安全といえるだろう。
一般に、尿は臭いと思われているが、それも大きな事実誤認。正常な人の出来立てのホヤホヤは、ほとんどにおわない。尿に多く含まれている尿素が体外に出た後、それに取りついた細菌によって分解され、アンモニアが発生してはじめてにおい出すのである。
∥下半身の出物が発する健康情報(5)∥
●心身の健康度がわかる臨床検査の花形
さらに、人間の体からの出物である尿の中に混じっているホルモンは、実は貴重品であり、ミラクルパワーの源泉でもある。
そもそも、人体の多くのホルモンは、血管を通って目標とする器官や細胞に運ばれ、その細胞に働き掛けたり、逆に働きを抑えたりする。これらのホルモンの一部は、血管の中を巡っているうちに、肝臓や腎臓で化学変化を起こす。これを代謝というのだが、この代謝物が尿中に出されるわけであり、そのほとんどは本来の働きを失っているといえど、少しは活性のあるものも排泄されている。
最近の医療分野においては、測定機器の技術進歩によって、ごく微量の物質も簡単に測定できるようになっており、ほとんどの病気の状態が、検尿で判定できるようになってきている。精神病の患者でも、副腎髄質から分泌されるカテコールアミンといわれる物質の量の増減で、早期に発見できる可能性があるといわれている。ガンにしても、腫瘍(しゅよう)マーカーといわれるポリアミンを測定することで、ある種のガンの早期発見や、抗ガン剤の効き具合がわかるようになってきている。
今や、尿は臨床検査の花形なのである。人間の精神状態も、生化学的に見れば、脳での神経伝達物質の化学反応でしかない。排泄されてくる微量ホルモンや、その代謝産物を調べることで、人間の心のバランスが正常か否かもわかるということになる。
ガンの治療では、患者当人の尿からガンウィルスの抗原を見いだし、ワクチンを作ろうという研究、実践が進められているそうだ。
このように、体からの出物のミラクルパワーが解明でき、その生体での働きもわかってくれば、尿から人間に必要な物質を抽出し、薬品を作ろうとする試みが当然出てくる。実際、男性ホルモンや女性ホルモンの一部は、尿から取り出され、薬として販売されている。
例えば、よく四つ子、五つ子が誕生して、世間をにぎわす原因となる排卵誘発剤は、女性の尿から抽出されたホルモン剤である。脳卒中や血栓症に使われるウロキナーゼという薬も、尿から抽出される薬としてよく知られているものだ。
このほかにも、オシッコにはまだまだ未知の生理活性物質が数多く含まれているそうである。生体に対する有効物質を見つけるための宝の山かもしれない。
●尿の量や色やにおいで変調を察知する
本人は健康だと信じているのに、いつの間にか病気にむしばまれ、気づいた時にはもう手遅れとならないために、朝晩の自分の体からの小水という、貴重な出物を観察することをぜひ勧めたい。
尿は毎日姿を変え、自らの体の調子を告げているものであり、非常に役に立つ健康のバロメーターなのである。特に、腎臓、尿道関係の病気は、素人にも判断しやすいものである。
もし異常があったら、病院にいって精密検査を受けてほしいもの。確かに、血尿、尿蛋白などでも、一過性のものもあり、尿の異常がすべて病気というわけではないものの、本当の病気だったら、早期発見できるのである。
まず、健康な人の尿量は、普通、男性で一・五~一・八リットル、多くても二リットル、女性で一・四~一・六リットルであるが、一日の量はどうであろうか。
一般に、一日の尿量が〇・四~〇・五リットル以下を乏尿、二・五リットル以上では多尿となる。ビールなどのアルコールを飲まないのに、五リットルも十リットルも出る場合は、尿崩症などの疾患が疑われる。
また、多量の水分を飲まないのに、異常に尿量が多かったら、慢性腎不全の初期か、糖尿病の可能性もあり。反対に、尿量が異常に少ないのも病気の一種で、急性腎炎の中期やネフローゼ症候群の初期、慢性腎炎や腎硬化症の末期、急性腎不全の可能性ありだ。
次に、オシッコの回数は普通、日中が五、六回といったところであるが、異常に回数が多いことはないだろうか。尿の量があまり出ないのに、回数が増えるのは、膀胱炎の疑いがあるし、初老の人だと前立腺肥大症やガンの可能性もある。
放尿する時に痛みがある場合は、尿結石などの膀胱、尿道などの排泄路の病気である。排尿の後に不快感がある時は、腎盂(じんう)炎、膀胱炎、膀胱の腫瘍の疑いがある。夜遊びの覚えがある人で、放尿した時に痛みがあったり、下着に膿(うみ)が付いていたら、梅毒、淋病(りんびょう)、クラミジアなどの性病に感染されている恐れがある。
尿の色も、大切なチェック項目。膀胱から出てくるオシッコは普通、いわゆる麦わら色をしている。古くなった赤血球が壊れてできた黄色い色素や、使われた蛋白質が分解されてできた黄色い色素が混じっているからだ。これらの色素のできる量は、だいたい決まっている。
だから、水分を多くとって、排尿の回数や量が増えると、色素は薄められ、ほとんど透明な尿になる。ところが、風邪などで熱を出してやたらに汗をかくと、当然ながら尿の量が減るから、相対的に色は濃くなる。同時に、蛋白質の分解による色素の量も増えるから、オシッコは黄色くなる。
風邪でもないのに、麦わら色か透明に近い通常色から、血が混じったワインレッド色になっていることはないだろうか。激しい運動をして赤くなったり、食べた物で色が変化することもあるが、そうでないと腎臓ガン、膀胱ガン、尿結石かもしれない。この血尿は、腎炎、膀胱の炎症で出ることもある。
オシッコが白く濁っているのも、要注意。疲れていても濁るし、リン酸塩やマグネシウム塩などが析出して白濁することもあるが、腎臓、尿管、膀胱、尿道が感染して炎症を起こしていたり、ガンの疑いもある。
さらに、モコモコした泡が立ち、なかなか消えないということがあったら、オシッコに蛋白が出ている証拠である。ネフローゼ症候群や腎炎などで、蛋白が混入するとよく泡立ち、なかなか消えない。肝臓病の場合は、黄色い泡が立ち、長く残る。
オシッコに変なにおいがしたり、異常に臭くないかも、チェック項目の一つである。食べ物によっても、オシッコのにおいが変わるが、糖尿病だと甘く、果実のような芳香が漂ってくる。
お酒の飲みすぎでもにおうし、魚の腐ったようなにおいがすれば、細菌に感染している疑いがある。ビタミンB1 などの栄養剤を服用すると、ニンニクのにおいがするが、これは気にすることはない。
●呼吸と睡眠が快調な排泄に役立つ
ちなみに、男性の場合、オシッコの飛び方を観察すると、性器の勃起(ぼっき)力がわかる。年を取ると、膀胱や尿道の筋肉が硬くなって勢いがなくなる。特に、男性はそうなのである。
そこで、年配の男性はどうしたら快通ができるかというと、丹田呼吸で不必要な物を捨てるということをやるとよい。両足の親指に力を入れて、つま先立って小用を便ずると、おのずから丹田に力が入るので、快小便ができる。これは、前立腺肥大を克服する非常にうまい方法でもある。
ここでも、人間は絶えず行っている呼吸の意味の重要性を、改めて認識する必要があるわけだ。
呼吸とともに、男女両方に勧めたい尿の快通法は、十分に眠ることである。誰もが一日使ったら、夜は肉体を疲れさせないように、軽く食事をとり、風呂に入り、肉体を温め、血液の循環をよくして、湯冷めしないうちに寝るがよい。
早く寝て、十分に眠ることを毎日の習慣にしている人は、よく眠るだけで肉体の神経が完全に働くから、体内の老廃物をそれぞれの場から体の外へ排出してくれるものである。 例えば、脳の疲労物質を体内から取り除くには、睡眠をとるしかない。人間の大脳の正常な働きを担っているのは、グルタミン酸を分解したガンマアミノ酪酸だとされている。人間が活動を続けると、次第にこのガンマアミノ酪酸が分解され、ガンマハイドロオキシ酸とアンモニアに分解されるのである。
徹夜で仕事をしていて、頭がボーッとなり、集中力を失っていくのは、ガンマハイドロオキシ酸が脳に蓄積されるためである。
この老廃物を取り除くには、睡眠をとるしかないわけである。ほかに、特効薬はない。睡眠をとってはじめて、脳の疲労を回復、ひいては再びコンピューターに負けない能力を取り戻すことができるのである。
寝ている間に、私たち人間の肉体は、ガンマハイドロオキシ酸を始めとした体内の老廃物を、呼吸からも、皮膚からも、気体として発散してしまうし、また尿にして排出する。朝の目覚めの時の尿には、色がついているのもこのためである。
どんな健康な者でも、睡眠中に作られる小水には色がついていて当たり前。寝ている間に、自然の働きが、そうした素晴らしい浄化をしてくれるからである。神経を使いすぎた場合にも、尿に色がつく。病気で熱が出た時にも、色は違うものである。
尿の色の具合で体の状態がわかるほどに、人間の体というものはうまくできている。これを自分で毎日観察していれば、内臓の健康状態がよくわかるはずである。
人間の体の機能は、素晴らしい値打ちを持っているものである。そして、生かされているという条件の上に、成り立っている生命が人間である。体の器官、機能は、実に巧妙に働くようにできている。
この働きをいかに故障なく運行せしめるかということが、生きていく面のすべてにかかってくるのである。
生きていくことは、難しいことではない。眠りと呼吸を真理的に行い、暑さ、寒さに順応してゆきさえすれば、年を取ってもその働きが弱るということはない。
ところで、睡眠中の子供の寝小便がなかなか治らぬ時には、寝る前にタップリ水を飲ませるとよい。パラドキシカルな方法のようだが、水を飲むことによって身体機能が調和するから、自然に夜尿症も治ってしまうものである。
∥下半身の出物が発する健康情報(6)∥
●男性の聖なる出物の扱いは慎重に
下半身からの出物として、男性の性器から出る精液について簡単に触れ、男女の性生活の望ましいあり方を述べておこう。
最近、医学分野で人間の精子の保存が注目を浴びているが、精子は西洋梨(なし)状の頭と、長い糸状の尾を持ち、長さは約六十ミクロン、すなわち千分の六十ミリである。この精子を多数含む精液について、男性一人の生涯の生産量は決まっているなどというのは、根拠のない俗説であり、単純にいえば、精液を多く使う人ほど生産され、あまり使わない人は生産量も少ないことになる。
しかし、あまり酷使しては生産が追いつかない。私の考えは、性器を神聖に扱い、精液という出物の使用をほどほどに慎めということである。
なぜなら、古来、臍下丹田という腹の底に、微妙、不思議な魂が潜んでいるようにいわれてきたが、その丹田の下にあって、生命の元になる力、悟りの力、力と知恵の原因になる「気」を絶えず発動している実体こそ、性器だからである。
現代人はこの事実に気づかず、性生活を粗末にしている。性器は命の根源、精神の発動器官だから、性を軽率にする人は性格が乱れ、運命に恵まれることがない。
性器は、生命を新しく産み出す生殖器官であるほかに、さらに大切なことは、人間の生命を一生涯維持する力を、宇宙から与えられている根本器官ということなのである。
この性器の内部というものは、絶えず収縮運動を続けている。心臓などと違い、その運動を我々の意識で知ることはできないが、これは生命の自然活動であり、実は生殖作用というものも、本来はこの自然作用、自然運動からなってくるものなのである。
性器は聖器であり、聖機、生機である。人間の一生涯にわたり、常に宇宙から生気を吸入し、生命の根源として働いていることは、意識によって捕らえることのできない厳然たる事実である。
そういう生殖器官から作り出される言い知れぬ神秘な力は、目にも見えず、意識にも上らぬ本能的なものであるから、肉体の根本摂理や五官の力で調節しないと人間の心情に支配されては、ゆきすぎることが多いものである。
その調節が正しく行われている時、人間は働けば働くほど、いくらでも働く力が出るもの。この生命の根本たる性器から作り出される力は、肉体の自然運動的鍛錬によって無限の力となるのである。
それは生殖細胞というものが本来、実に強いものであるからである。生殖細胞は、宇宙の生命と全く変わらぬ性格を持ち、働きをし、絶えず宇宙の生命と同じように存在しているのである。
今日のような化学的影響を受けぬ限り、突然変異などは起こりにくい。地球上に争いがなく、また人為的変化のない限りは、人間の生殖細胞はいつも正しく、きれいに存在し得るものである。
ところが、現代人はさまざまな自然破壊を行ってきたし、今や、人間が作った突然変異誘起物質は六千種類以上にも上っているという。その結果、男性の生殖器官は最も代謝の活発な細胞を含んでいて有害物質の影響を受けやすいために、精子の数が減り、不妊症になるなど、子孫への影響は計り知れない。それが今、真剣に憂慮されるところである。
性器を、「せがれ」だの「息子」だのというが、とんでもない。一生涯の親元である。毎日、毎時、宇宙からここを通して生命のくる大関門なのである。
●性器こそ人間生命の根源である
男性に限らず、女性の生殖器も生命の制作所である。構造や機能は巧妙至極なもので、人の体は宇宙の神が何億年、何十億年もかかって創っただけに、実にうまくできているものである。
巧妙、微妙な機械だけに、取り扱いが粗雑だと悪い子ができて親を悩まし、苦しめる。まじめな和合と仲のよい夫婦生活こそ肝要である。
具体的にいうと、意識的に性欲を起こすと妄想の人となって煩悩という、悩みや煩いに捕らわれて性欲のとりこになってしまう。
性の本義は、人間が宇宙生命の一分身として、しかも宇宙のすべての性能を与えられて、万物の最後に最高位をもって無限の発展を遂げてゆく使命をいうのであるから、この性を人間性の中心として、性の自重と、性器の尊重を心掛けねばならぬのである。
元来、私たち人間も、宇宙によって創られた単純細胞の集団であった。それが分化に分化を重ね、今に見る素晴らしい肉体組織を形成してきた。人類の歴史は考古学的には約三、四百万年としても、その前に動物としての歴史が長く、生物としての源はさらに深い。
その発展の経過の中で、くしくも人間となってきた万物と違う細胞の存在が偶然であるにもせよ、何億年の長い間、必然、偶然に宇宙の目的を目的として向上、発展をしてきた人間の歴史の上で、存在の中で、その繰り返しの中心をなしてきたものは、この生殖細胞の遺伝子の働きなのである。
どうすれば、その遺伝子の形を整えることができるか。子供を宇宙の目的としての人間の理想像者とするには、完全な形を、その親が形の上で整えておかねばならない。
悪ふざけをして、性の享楽などにうち興じている親があるとすれば、たくさんの生殖細胞の中から、つまらぬやからが飛び込む。
一度に三~四億もの精子が、自分の育つことのできる神の宮に向かって飛び込んでいく時に、乱暴者が飛び込むか、ならず者が飛び込むか、反対に、賢明で落ち着いた、すでに神に選ばれたような素晴らしい種が選ばれて、そこに迎えられるかという境目である。落ち着いて神の導きを受けねば、そうしたよき種子を自然に選んでもらうことはできないということは想像できよう。
性生活においては静かに、静かに形のごとく、儀式のごとく、人間の意識などを用いるものではない。ここでは、男女間の技巧などというようなばかばかしいことも行われるべきではない。
この厳かな神わたりの儀式というものは、本当の神の子、仏の種を、三~四億という数の中から選び出す唯一の機会なのである。
性とは生殖のためのみのものではない。快楽にふけるためのものでもない。性とは人間を鍛錬するために設けられた道場であり、教材であり、人間を改造し高めるためのものでなくてはならない。また、性は男女の真愛の上に立脚した、人間の厳かな営みでなければならない。
改めて強調しておくが、生殖器は生殖もつかさどるが、生命の根本、中心に相当する器官。神聖にして犯すべからざるところ。生命根源の機能をつかさどる大切な器官なのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿